完成した映像等は誰のものか?
弊社のような制作会社は、お客様からの発注をもとに映像等を制作するのが仕事です。そして映像等は著作物である以上、そこには「著作権」という権利が発生します。
では、完成した映像等はいったい誰のものなのでしょうか?
お金をお客様から頂戴して制作した成果物ですから、我々制作会社も「それは当然お客様のものです」と言いたいところですが、法律によるとこれは少々違います。
ここで注意しなければならないのは、私たち映像制作者が「違う」と言っているのではなく、法律が言っているという点です。ですから、映像制作会社によって違うというものではなく、少なくとも著作権法の基となっているベルヌ条約加盟国の中では国による多少の差はあれ、映像の著作権のすべてが完全にお客様のものとなることは無いと考えて問題ありません。
では誰のものなのか?
たとえその映像作品の発案者がお客様だったとしても、制作した映像作品の権利は、それを作り、創作のために精神的労力を費やした「監督」や「プロデューサー」、さらにはこうしたクリエイターを擁する制作会社の元に発生します(職務著作…※1下記注参照)。なぜなら法的に発案者や出資者は著作者とはならないからです。
ではどこからどこまでの権利をお客様は手に入れることができるのでしょうか?また、その条件はどのようになっているのでしょう?
詳細な解説は法律家の方々の専門書やウェブサイトなどに任せるとして、ここでは映像制作者としての立場から、お客様に知っておいてほしい著作権法の基本について触れてみたいと思います。
著作権という権利の性質
日本の著作権は、加盟しているベルヌ条約の精神を基本としています。つまりベルヌ条約に加盟している各国とも大体同じ価値観で著作権を考えているということです。世界中が同じような価値観を共有しているわけです。
そしてその大きな特徴は「無方式主義」という考え方です。「方式」というのは専門用語で「手続き」のことです。つまり無方式主義とは「手続きを必要としない」という意味です。
著作権における無方式主義とは、何ら手続きをすることなく、作品が完成した瞬間にそれを作った著作者に権利が自動的に生じるという考え方です。ですので、お金を出したお客様は、作品の完成時点ではまだ権利者ではないということになります。
著作権法第17条2
著作者人格権及び著作権の享有には、いかなる方式の履行をも要しない。
著作者の権利を守り、まずは創作意欲を高める
著作者とは「著作物を創作する者」を指し、企画発案者や資金提供者は著作者とはなりません。ここで特に重要なのが資金提供者は著作者とはならないという部分です。
お金を出してくれるお客様にまったく権利が発生しないというのは意外に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、円滑な著作行為を促すという観点からすると、まずは権利を著作者に持たせたほうが創作意欲が高まりますので、これが妥当だと思いますし法益は十分にあると考えられます。
これがもし、お金を出した人に権利が生じて「権利は一方的に完全譲渡」「制作者は自分が作ったとアピールもしてはならない」「完全に作ったもののことは忘れろ」ということになれば、映像制作者は「金の分だけやればいいんだろ?」という姿勢になってしまう、もしくは創作意欲そのものを失う危険性があります。
ではお金を出した人の権利は?というと、「著作者から譲渡もしくは許諾により権利を受ける」という形で守られます。契約によって、作品を利用をする権利を譲り受ける、もしくはライセンスしてもらうのです。
著作権法はお金を出したお客様がどこまでの権利を買うことができて、どこからは著作者の了承を得るべきか、重要な示唆をしています。
ではその著作権の内側をもう少し詳しく見てみることにしましょう。
著作権法は二元論で考える
では著作権には具体的にどんな権利が含まれるのでしょうか?著作権という言葉はよく聞くでしょうが、その内訳を知らないという方も多いのではないでしょうか?
著作権というのは、簡単に言うと以下の二つにわけて考えられます。
①財産権としての著作権(以下「著作財産権」と呼びます)
②人格権としての著作権(「著作者人格権」と呼ばれ、以下この呼称を使います)
上記のように著作権を二つの性質の権利に分けて考えることを「二元論」といい、日本ではこの考え方が一般的に広く浸透しています。法律家の間では議論は分かれていますが、ここでは一般的な二元論を基にしてご説明してまいります。
ではそれぞれの権利について見ていきたいと思います。
著作財産権とは
①の著作財産権については、財産として譲渡することができると明記されています。つまり作った人がその著作物の(財産としての)権利をお金で販売することができるということです。
著作権法第61条1
「著作権は、その全部又は一部を譲渡することができる。」
この条項における著作権とは著作財産権のことを言っています。「財産としての権利」の内訳は、複製、上映、公衆送信、伝達、口述、展示、頒布、譲渡、貸与、翻訳、翻案、二次的著作物の利用などで、これらの個々の内訳を「支分権」と言います。そしてそれぞれの支分権を単独で譲渡することも可能です。またもちろん、それぞれの権利を買ってくれた側にその権利を占有させるかどうかも契約によって細かく決めることができます。
この著作財産権というのは、言ってみれば映像などの著作物を公開したり複製して販売したりという方法で活用して利益を得る権利と考えて差し支えないと思います。
例えばテレビ番組のエンドロールを見ると、最後に「制作著作○○テレビ」とテロップが入るのを見たことがあるでしょう。
今のテレビ局の場合、スポーツや報道以外のバラエティ番組や情報番組は、ほとんど外部の制作会社が制作しており、もともと著作権を持つのは制作会社のはずです。しかし実際はテレビ局が著作権を持って自分の局の番組として放送しています。
これは概念としては「制作会社がテレビ局に放送のための著作財産権(支分権)を譲渡した」ということになります。(著作隣接権もからむので単純ではありませんが著作者である制作会社から見た場合はこういう概念です。)
つまりテレビ局は制作費に加えて「放送するための権利の費用」を支払っているという考え方です。
ここで重要なことは、制作費と権利譲渡の費用は別だということです。あくまで概念としてですし、通常は見積段階で作品の性質によって権利譲渡や許諾のための費用も内包されていることが多いので、慣習として一緒に丸めて扱いますが、本来は別に考える必要があるということだけご注意ください。
著作者人格権とは
では、①の著作財産権をすべて買い取ったからといって、お客様は自由に映像等を自由に使えるのかというと、ちょっとした制約があります。それが②の「著作者人格権」です。著作者人格権というものは「人格権」と名付けられた通り、人(法律的には自然人と呼ばれます)が著作を行った際に生じる基本的人権の一種と解釈できます。
では著作者人格権にはどのような権利があるのでしょうか?
著作者人格権の三要素
著作者人格権は、「公表権」「氏名表示権」「同一性保持権」の三つから成ります。
公表権とは、完成した著作物を世の中に公表する、もしくは公開しないことを決める権利、氏名表示権とは著作物が著作者の作であることを記名したり表明したり、また逆に名前を伏せることができる権利、同一性保持権というのは自分の意に反して他の人(お客様も含む)に勝手に著作物を改編されない権利です。
著作者人格権の一身尊属性
著作財産権をすべて買い取ったとしても、まだこの著作者人格権が著作者に残ります。では、その著作者人格権も譲ってくれないか?そうお思いの出資者もおられることでしょう。しかし残念ながらこれは譲ることができない性質の権利です。
この権利は実制作を行った制作会社やスタッフ、または制作作業に関わった協力会社等に自動的に伴う一身尊属性の権利であり、たとえ制作費を負担しているお客様に対しても、譲渡したりできないものです。それは著作権法第59条に明記されています。
著作権法第59条
「著作者人格権は、著作者の一身に専属し、譲渡することができない」
つまりお金で買えない権利が著作者に残るということです。
法律で決まっている以上、著作者人格権は買えないのはわかりますが、著作物の流通を考えると、どこまでいっても著作者に権利が残るのは、何をするにも著作者にお断りを入れないとならないなど、手続きが煩雑になり、面倒だという考えもあります。
そこで「譲ってもらえないまでも、著作者として、その権利を放棄してくれないか?」とお思いのお客様もおられるかもしれません。しかし、この著作者人格権が基本的人権の一種ということを考えると、「放棄」という概念も適切ではありません。
譲れもせず、放棄もできない。お金を払っているお客様からすると、ちょっと一見邪魔者に見える権利、それがこの著作者人格権なのです。
同質説と異質説
では本当に著作者人格権は放棄ができないのでしょうか?著作者人格権という権利の性質を考えてみましょう。
先に「著作者人格権が著作者の基本的人権の一種である」と言いましたが、このように著作者人格権が民法第710条等に定められた「一般的人格権」と同質のものであるという法的な解釈を「同質説」と言います。簡単に言うと、著作者人格権は人が著作行為をした時に発生する人格権の一種だという考え方です。そして様々な議論がありつつも、現状では著作者人格権を同質説で解釈することが、概ね主流となっています。
そして同質説が主流だからこそ、近年、この著作者人格権の放棄が本当に不可能なのか?という議論が注目を集めているのです。
インターネットの普及によって、パブリックドメインの経済的妥当性が近年高まりを見せていますが、このパブリックドメインは基本的に著作者に「著作者人格権の放棄」を求めている側面があるからなのです。
厳密な意味では現行の著作権法を解釈するなら、どうやら放棄は難しそうです。
著作者人格権が民法における一般的人格権と同質であるなら、「放棄」という概念がいかに違和感あるものか、ご理解いただけるものと思います。
もちろん、法律は文章で書かれている限り解釈の余地があるものですから、著作者人格権を一般的人格権とは異質のものと考える「異質説」もあります。異質説の根拠はというと、一般的人格権の保護対象が自然人に備わる人格であるのに対し、著作者人格権の保護する対象が、著作物を公表したり、著作物に著作者氏名を記名したり、また、著作物を著作者は勝手に改編されない権利といった、いわば「著作者と著作物の絆」であること、さらにこの絆は著作者の死後も保護される点、また、この著作者人格権が保護する対象が人や著作物だけでなく法人も含む点、などが根拠となっています。
とはいえこの異質説に対する同質説派の反論としては、「自然人が著作を行った時に生じる権利なので自然人全員の人格を保護対象としているとも言える」などの理由。そして、そもそも著作物に顕現した著作者の人格を守ることが著作者自身の権利を守ることにつながるので、同質説こそが著作権法の法益を鑑みた場合正当であるとの意見などがあります。
いずれにしても著作者人格権は様々な議論がありつつも、譲渡が出来ないことは著作権法第59条にも明らかである上、日本においては一般的人格権と同質という考えが根強く浸透しているため、放棄という概念も違和感があると考えられているようです。
著作財産権と著作者人格権のバッティング
さて、先にご説明した著作財産権の内訳は複製、上映、公衆送信、伝達、口述、展示、頒布、譲渡、貸与、翻訳、翻案、二次的著作物の利用といった権利です。そして著作者人格権は、「公表権」「氏名表示権」「同一性保持権」という三つの権利から成ります。これらをよく眺めると、多くの権利でこの著作財産権と著作者人格権がバッティングしているのがお分かりいただけると思います。
著作財産権の上映、公衆送信、伝達、口述、展示、頒布、譲渡、貸与とは、つまるところ著作者人格権の中の公表権とかぶっているように見えます。
著作財産権の翻訳、翻案、二次的著作物の利用の権利は、つまるところ再編集権と言い換えることもできますので、著作者人格権の同一性保持権とかぶっているように思います。
つまり、著作財産権をお客様が全部買ったとしても、その権利行使を差し止めできる権利が著作者にわずかでも残ってしまうというジレンマがあり、今起きている裁判でもかなり多くの割合で、こうした争点が見受けられます。この問題については、お客様にご安心いただくためにも後ほど弊社の姿勢なども含めて詳しくご説明します。
以上が著作権という権利のアウトラインです。
弊社における著作財産権の扱いについて
では弊社の場合は著作権についてどのような扱いをしているでしょうか。ここからは弊社と、弊社に映像制作やCG制作をご依頼いただいたお客様との関係で弊社側のスタンスをお話をしたいと思います。
まず、基本的なことですが、著作財産権の扱いはお客様の作品の活用方法、または作品の性質によります。
例えばその作品が商品PR動画や会社案内などの場合は、お客様でなければ使いようがありません。何か商品のPRであったり、お客様の会社のPRであるなど、作品そのものの汎用性が少なく目的があまりにピンスポット的なため、私たち制作会社が著作財産権を持っていても利用価値がありません。ですから手放せるだけの権利を手放す契約で良いと弊社では考えています。
逆に例えばアニメーション番組制作の現場などでは、再放送やソフト化の時はどういう権利の扱いにするかなど、細かく契約によって取り決めがなされています。二次利用などの権利によって大きな収益を得られる可能性がある場合は、どこの会社もその権利を手放したくないはずです。
弊社のお客様の場合は、商品PR動画であったり、企業のPR動画のお客様、またテレビ番組の部品として使用するCG動画カットの制作依頼がほとんどのはずです。こうした映像の場合は再販による利益はあまり見込めません。
この前提に立てば、一般的な企業映像などで著作財産権の譲渡を渋る合理性がありません。このような作品の場合、弊社では一切の利用を基本的にお客様に認める契約を結んでいます。複製、上映、公衆送信、伝達、口述、展示、頒布、譲渡、貸与、翻訳、翻案、二次的著作物の利用を含め、「ご自由にどうぞ」というスタンスです。
とはいえ、先にご説明した通り、著作財産権の扱いは作品の性質によりますのでいくつかの例外となるケースもあります。案件ごとにご希望のスタイルをお伝えください。可能な限りお客様のご都合に合わせます。
弊社における著作者人格権の扱いについて
先にご紹介した通り、著作者人格権は、「公表権」「氏名表示権」「同一性保持権」の三つから成ります。著作者人格権は様々な議論がありつつも、日本においては一般人格権と同質という考えが根強く「放棄」という概念がそぐわない上、著作権法第59条にも明記されている通り譲渡も出来ないものです。
また、世界中のほとんどの国の著作権法はベルヌ条約を基にしていると冒頭にご説明しましたが、日本の著作権法は特にこの著作者人格権に関してベルヌ条約よりも若干強い保障をしています(※2)。
たぶんですが、著作者の心情やプライドに配慮をした結果なのでしょうが、お金を出しているお客様からすると、どうにもやりきれない思いがあるように見受けられます。弊社もお客様から委託を受けて映像を制作するのが仕事である以上、実はこの著作者人格権の扱いには困ることがあります。
しかしご心配は無用です。放棄や譲渡はできないにしても、これら著作者人格権を弊社が行使する合理的理由が多くの場合見当たらないからです。
また、著作者人格権という権利そのものが、お客様に譲渡した著作財産権から比較するとかなり弱い性質の権利ですので、著作財産権のほうの譲渡を受けたお客様であれば、ご心配には及ばないかと思います。その理由を含めて細かくご説明したいと思います。
公表権について
まず、著作者人格権の中に「公表権」という権利(著作権法第18条)があります。簡単に言うと著作者が未公表の著作物(映像等の作品)を公表するかどうかや、公表の時期、方法を決める権利です。
しかし、基本的に弊社が映像の制作を請け負う段階で、お客様からその使用目的をうかがっているはずです。イベント上映か、ウェブでの配信か、その理由は様々ですが、とにかく何か目的があってお客様は弊社に映像やCGの制作をご依頼なさるのです。これは「公表を前提として制作を開始している」と言えるでしょう。お客様からの発注書にもその旨がわかるように記載すれば、公表を前提としてることは明白ですから、弊社が公表権を行使できるはずがありません。
公表を前提として制作しているのですから、完成したファイルをお客様に納品した段階では、弊社としてはその映像をお客様が何らかの方法で公表することを前提としています。これは例えるなら、お客様に公表の代行をお願いしているようなもので、お客様に成果物(有体物としての映像・動画ファイル)を納品して、その著作財産権を譲渡した段階で弊社はすでに公表権を行使しているようなものなのです。
また、公表権については18条2項という別の規定があり、著作財産権が一度お客様に譲渡されるとそちらが優先となり、反対の特約が無い限り、弊社はお客様に対しては公表権を行使できないという規定があります。
これは上記の理屈で考えれば理由は一目瞭然ですね、著作財産権を著作者がお客様に譲った段階で、複製、上映、公衆送信、伝達、口述、展示、頒布、譲渡、貸与、翻訳、翻案、二次的著作物の利用を含め、公表することを許諾しているわけです。つまるところ、有体物としての作品動画ファイルと著作財産権を譲った時点で、すでに公表を権利者に許諾していると扱われるわけです。
上記の理由から納品後に弊社が公表権を主張して公表を差止める合理的理由がまったく見当たりません。また18条2項により、不合理な公表権の行使は、上記のように制作の受注そのものが公表を前提としていることを鑑みればよほどの理由が無い限り、さすがに裁判になっても認められるわけがありません。
繰り返しますが、上記の帰結として弊社が請負仕事において公表権を行使する合理的理由はまったくありませんし、18条2項を考えれば不可能です。心配な場合は発注書の段階で必ず「本制作物の公表は●●が行うことに同意の上受注を決定してください」などと書いてもらえれば良いと思います。
氏名表示権について
続いて著作権法第19条の「氏名表示権」ですが、著作財産権とかぶらない著作者人格権特有の権利というのはこれくらいではないでしょうか。しかしこれもよほどの場合でない限り、納品後の作品に対して主張することはありえません。というのも商品PRや会社案内映像において、その著作者であることをエンドクレジットなどで表示するのであれば、お客様に一言おことわりを入れるのが筋だからです。
また、視聴者心理を考えると、商品PRなのにスタッフのロールがあるなど、余計な情報ですし、不要であるというのが弊社の考え方です。
この考え方は著作権法第19条の3項にある権利の緩和条項の考え方と同じです。例えばDJが入るようなラジオ番組なら作詞作曲者やプレイヤーの名前は普通出てくるでしょうが、店内BGMの場合は、いちいちナレーションを入れてこうした作者の情報を知らせるのはおかしいです。
つまり慣行に従って、記名しないのが普通の場合は記名は省略してもいいわけです。
不安な場合は発注書に「本制作物への記名は著作権法第19条3項により省略することに同意の上受注を決定してください」などと記載しておくと良いでしょう。
ただし一部の案件において、内容に責任を持つという意味において記名によるクレジットを要望させていただく場合があります。こうした場合は早い段階でその必要性をお伝えします。
同一性保持権について
最後に「同一性保持権」についてです。この権利は、簡単に言うと出来上がった映像作品が「著作者の意に反する改編を受けない権利」です。
例えば商品PR映像作品の中にCGカットがあったとしましょう。お客様としてはこのCGカットだけ使いたいので編集ソフトでそこだけ切り出してどこかで公開したいということもあるかもしれません。そうした場合に障害となるのがこの同一性保持権です。
お客様はすでに著作権法第27条と第28条の「翻訳、翻案、二次的著作物の利用」の権利を譲渡されているわけですから自由に編集できるように思いますが、しかし私たち制作者が持つ「同一性保持権」があるため厳密には「意に反した改編内容ではないのでどうぞ」という承諾を得てからしか編集ができなくなってしまうのです。これはとても不便な結果になってしまいます。
ここで考えなければならないのは、この同一性保持権における「意に反する」という部分の解釈です。そもそも「お客様の意向」と「私たち制作者の意向」がそれほど違うでしょうか?ということです。
先の事例で言う商品PR映像の場合、商品が売れることがお客様の意向であり、私たちも、そもそもそのために作品を作るのですから、その制作意図は一致しているはずです。ですので弊社の基本的スタンスは、お客様に「ご自由に編集なさってください」という立場です。多くの案件において弊社がこの同一性保持権を主張する合理的理由はありません。
お客様が商品PR映像によってを売りたいと考えている以上に、私たち映像制作者もその商品が売れることが制作の第一の目標なのです。私たちの作る映像によって商品が売れれば私たちの評価も高まり、次の仕事に結び付きます。むしろお客様サイドで自分で編集をして、映像の一部分を何かに活用できるなら、それは私たちの望むところです。
弊社ではむしろこうした編集をお客様におすすめしています。映像作品の部分的な活用のためにテロップが無い状態の映像が欲しい場合など、遠慮なく契約時におっしゃってください。再編集しやすいファイルもお渡しします。特にその映像がお客様のためだけに作られたものであり、お客様にしか利用価値の無い内容の場合、自由な再編集を許諾する契約とするのが弊社の基本方針です。
一部例外はありますが、このようにほとんどの案件において弊社にはお客様による再編集を弊社がお断りする合理的理由はありません。
とはいえ、私たちの意向と法律の問題はまったく別です。法的には契約上どうすればお客様自身による映像の再編集を正当化できるのでしょう。制作会社側からしても、どう改編されるかわからないのに、すべての改編に同意するというのはいささか無理があるので、一番良いのはお客様が発行する発注書の段階で「改編をしたい」「改編を禁止される条件があるなら先に請書で言ってほしい」といった旨の特記事項を付けておくことです。それに対して請書で制作会社サイドから「公序良俗に反しない限りは改編を許諾します」などと、改編を許可する条件を出してもらうのです。こうすることで発受注の中でお互いの意思確認の証拠が残せます。後々トラブルになる可能性は少なくなるのではないでしょうか。
契約書上の著作者人格権不行使特約
さて、なぜここまで著作者人格権について詳細に解説しているかと申しますと、お客様からお持込いただく契約書のひな形に、以下のような契約条項があることが多いからです。
「乙(制作会社)は著作者人格権を行使しない」
こうした契約条項は一般に「著作者人格権の不行使特約」と呼ばれています。
買える財産権は全て買ったが、著作者人格権は買えない上、一般的人格権と同質であると解釈すれば「放棄」させることもできない。これでは著作者に著作者人格権を行使される可能性が残っていて怖くて仕事を続けられない。ならばせめてその「行使」を禁じることはできないか?という考えから生まれたものです。
業界によっては、こうした特約条項に一定の経済的メリットがあることは確かでしょう、そのため過去に広告業界や出版業界などでは一般的なものでした。しかし、この不行使特約はすべての映像作品に必要かというと、実はそういう性質のものではないとご理解をいただきたいのです。弊社をご利用になるお客様の場合は教材動画や企業PR、そして商品PRなどがほとんどでしょうから、むしろ不行使特約を契約書に記載することは避けられるなら避けた方が無難と考えた方が良いかもしれません。
というのも、この不行使特約は、その適法性・有効性について法律家(弁護士などではなく著作権法を専門とした法学者)の間でも議論が大きく分かれているからなのです。
もしこれが適法でなく、厳密にはコンプライアンス違反だとするならば、お客様の不利益になる可能性を否定できません。大企業、特に上場企業のお客様にとって、コンプライアンス違反は打撃になる可能性もありますので、慎重な扱いが必要であろうと思います。
以下にその理由をご説明申し上げます。
著作者人格権不行使特約のあやふやさ
そもそも著作者人格権が、先にご紹介した通り一般的人格権と同質のものであるならば(同質説)、その行使を禁じる契約は無効であるというのが、この「著作者人格権の不行使特約」に問題があるという立場の専門家の基本的な考え方です。
同質説に基づいた場合、著作者人格権も基本的人権の一つである一般的人格権と同質ですので、「著作者人格権の不行使特約」が「基本的人権の不行使を求めるものであり基本的人権を封じ込める条項である」という点において適法ではなくコンプライアンス違反にあたるのでは?という考えは当然あってしかるべき議論でしょう。
著作者人格権は著作権法第59条に記されている通り一身尊属性を有する著作者の権利ですから、この点においては一般的人格権と同じ性質を持つ権利のため、そもそもその不行使を論ずる余地はないはずです。もしその行使の権利を禁じることができるなら、他の基本的人権の行使も禁じることができることになってしまいます。この矛盾こそ「著作者人格権の不行使特約」の正当性を危ぶむ根拠があります。
本来著作者人格権というものは、クリエイターの名誉や作品に対する思い入れを守るという趣旨で存在する権利です。その行使の権利を禁じる条項は、クリエイターの士気にも関わることは言うに及ばず、そもそもなぜこの著作者人格権が設定されたかという法の精神からしても問題がある可能性があります。
法律家の見解もわかれている
著作権を専門とする法学者の中でも「著作者人格権の不行使特約」の有効性については議論がわかれているようです。完全に無効なので契約書に書くべきではない、または書いても無効という立場の方もいれば、賛否両論あることを承知の上で「書いておかないと権利を主張されたら困るから危険」という考えでリスクヘッジの意味で「一応記載したほうが良いよ」と勧めている法律家がいるのも事実です。
中には「不行使特約が嫌なら契約しなければ良いだけのこと」という強硬派の法律家もいらっしゃいます。これは先ほどの同質説から解釈すれば「基本的人権を放棄しなければ仕事をあげません」と言っているようなものです。
百歩譲って自己責任において、法律の素人である発注主様がそうおっしゃるならまだわかるのですが、法律のプロがこう言うのはいかがなものでしょうか。法的に議論があることは確かなのですから、ここは個人的見解を避け、真摯な姿勢で議論を尽くすことこそ、本来の法律家のあるべき姿のはず。
もちろん著作者人格権不行使特約を有効とした判例もあるにはあります(東京地裁平成13年7月2日判決宇宙戦艦ヤマト事件)。とはいえ、判決文を読むと、著作者を称する原告が著作者人格権の不行使を約していたから負けたというよりは、ヤマトの場合映像作品なので著作者となるのは法人で(職務著作…※1下記注参照)、原告(個人のプロデューサー)は法的に著作者としての立場に無いという判断のほうが判決の理由として強いように思います。
いずれにしても法人と法人が取り交わす契約書の中に、法律家の意見が「学説として」分かれているような条項を記すことは、やはり避けたいところです。
そもそも弱い著作者人格権
そもそも私たちクリエイターが持つ著作者人格権は、制限だらけでとても弱い性質の権利です。著作財産権を譲渡すれば、「公表権」については譲渡した著作財産権の権利とほぼかぶるため、そちらが優先されます。
「氏名表示権」は、これも緩和条項がありますので、我々のようにお客様からの委託で映像を制作しているような会社の場合、作品に直接記名できることなどほとんどありません。せいぜい、「この映像ね、実はオレが作ったんだよ」と言える程度のものです。
「同一性保持権」についても、実は契約時に改編の可能性がわかっている場合は主張しても無効という判例があります。
こんな弱い権利を怖がり、コンプライアンス違反やクリエイターの士気低下の危険を冒してまでさらに封じ込める必然性がどこにあるのでしょうか?
私たちはお客様の味方です。それを前提とした上で、少々クリエイターの立場から意見させていただけるなら、一般的な(商法を専門としているような)法律家が書く契約書ひな形は、あまりにクリエイターの心理からして不当と感じさせるものが多いです。
クリエイターの普段の苦労を目にしていないため、士気低下の問題を考えず、単に「念のため」「ビジネスリスク回避のため」という姿勢で著作者人格権不行使特約を安易に書いてしまう。
法律家は「ビジネスリスク」にしか目が行っていませんが、クリエイターの目線はまったく違うところにあります。ビジネスリスク回避のために創作意欲を危うくするなどのクリエイディブリスクを招いているというのが現状ではないでしょうか。
実際、クリエイターが集まると、この不行使特約は必ずといって良いほど話題に上り大変評判が悪いです。問題視する声や、不愉快だという感情論的意見まで様々ですが、共通点としては「すべてを根こそぎ持っていかれた」と感じてしまうところに、この不行使特約の問題点があるように思います。
そして明らかにこうした感情的問題は、作品のクオリティに現れてしまう危険性があります。クリエイティブな世界は精神性こそすべての仕事です。なぜ著作権法という法律に、財産権とは別の「作品と著作者の絆」を設定したかを今一度考えてみる必要があるように思います。
そもそもこの著作者人格権はクリエイターの士気を高めることにつながる有益なものです。それがお客様にとって本当に不利益なものなのでしょうか?広い視野に立てば、クリエイターが持つ著作者人格権はお客様にとっても有益なものなのです。
お客様にとっての著作者人格権のメリット
基本的スタンスとして弊社は「請負の仕事」として映像作品を作っておりますので、著作者人格権を行使する合理的理由がありません。それは先に理由を掲げて逐一ご説明した通りです。そしてこうした請負仕事での映像制作の場合、そもそも「著作者人格権の不行使特約」など不要だということをこれまでご説明してきました。
逆に、とても弱い権利である著作者人格権を著作者に認めることで、お客様にとってメリットもあるのです。そのメリットを知るためにも、なぜこの著作者人格権が財産権と別に存在し、著作者への一身尊属性を有するのか、その法の精神を考えてみましょう。
安価に良いコンテンツをお客様が入手できる
著作者がお金で作品の財産権を手放したとしても、お金では売ることができない魂のような存在、それが著作者人格権です。例え著作財産権を全部譲渡したとしても著作者人格権が残っているので、著作者は「自分が作ったんだ、いい作品でしょ?」と周りに言えるので、なるべく良い作品を作ろうとします。
これが、「完全に黒子に徹しろ!」「作ったことそのものを忘れろ!」と言われたらクリエイターは良い仕事をするでしょうか?創作活動というのはプロの仕事であればかなりの精神的労力を使います。あまりに一方的な著作権契約は、創作意欲を挫きます。
このように著作者人格権は、クリエイターの創作意欲を底支えしているのです。良い仕事をクリエイターにしてもらうため、有益なものとお考えいただければと思います。
余談になりますが、日本の映像制作の費用はとにかく安いです。海外に比べると半分以下の費用で同じようなジャンルの映像作品を生み出しているのです。手柄くらいは残さないと、良い仕事をクリエイターにさせるのは難しいのではないでしょうか。
著作者人格権があるから著作者も財産権を手放しやすい
著作者人格権によって作品との切れない絆が守られているからこそ、著作者は安心して著作物の財産権を譲渡することができるのです。いわば、作品を手放す著作者の心のよりどころが、この著作者人格権ということもできるでしょう。
その行使を禁じる不行使特約を書くことによって、かえって契約上譲渡する著作財産権の幅を狭めてしまったり、細かい契約上の条項をめぐる争いに発展する可能性を自ら生み出す危険性すらあります。
映像制作に携わるプロダクションとして、法律家の方々には今後この著作者人格権を扱う際、ビジネスリスクだけでなく、こうしたクリエイティビティにおけるリスクを鑑みていただければと思っています。
契約書上の著作者人格権をどう扱うべきか
弊社がご用意する契約書には、この著作者人格権の不行使特約そのものはありません。しかしお客様が自由に映像等のファイルをお使いいただけるよう権利を最大限お譲りする姿勢をとっています。
限定的著作者人格権不行使の同意
法の専門家の間での議論では「乙(制作会社)は著作者人格権を行使しない」という、包括的に一括りにした特約に問題があるという考え方があります。
例えば著作者人格権の中の同一性保持権について考えてみましょう。これは再編集権のようなものですが、再編集は完成した映像に施されるわけですから、契約段階では何をどう編集されるかわからないわけです。何が起きるかわからない段階で、著作者にわけもわからず何がなんでも同一性保持権を放棄させるのは無理があるだろうというのがその趣旨です。ですので、同一性保持権の放棄を求めるなら、どのような場合に著作者が改編を認めるのか?どこまでを認めるのか?を具体的に定義するのが望ましいのです。
また公開後の著作物は著作者の手を離れて独り歩きしますので、何が起きるかわからないのです。どういう場合に著作者人格権の行使をしないのか?行使をしてほしくないのか?事前に同意を得ておく必要があるというのがこの考え方です。
いわば「限定的著作者人格権不行使の同意」といった契約ですが、法学者の様々な議論の中では私たちクリエイター見ても、もっとも妥当性が高いと思える考え方です。
そこで弊社では契約書の中で著作者人格権全体をひとまとめにして包括的にその行使を封じるのではなく、発注書と請書のやりとりの中で以下のような確認をすることをお勧めしています。(あくまで売り切り前提の作品の場合です)
【発注書の特記事項に以下を記載】
※本制作物の公表は(お客様名)が適当と思われるタイミングに行うことを同意の上受注を決定してください。
※本制作物への記名については著作権法第19条3項により省略することに同意の上受注を決定してください。
※本制作物を(お客様名)が適当と思われる改編などを行うことに同意の上受注を決定してください。また改編への同意に条件がある場合は請書に条件等を記すようにお願いします。
【請書において制作会社からクライアント様に提示する】
・発注書(利用目的と公表方法、そして再編集の可能性があることとその目的を明記)に則り制作を開始する旨を記載
・本制作物への記名は必要ない旨を記載
・本制作物にお客様がしてはならない改編方法(公序良俗に反する使い方など具体的に)を記載
上記のように発注書の段階で、公表をクライアント様が行いたいということと、氏名表示は省略したいということ、そして改編をして制作物を有意義に活用したいということを明確に書いておき、そこに制作会社から「●●だけはやめてね」といった条件が請書の段階で返ってくれば、お互いに意思疎通を行えますし、一方的な著作者人格権の封じ込めにはなりませんので、安心できるのではないでしょうか?
また、これまでご説明してきた通り、著作者人格権の包括的不行使特約は必ずしも契約書に必要なものではありません。
実際、ひこにゃん事件(大阪高裁平成23年3月31日決定平成23年(ラ)第56号)では契約上不行使特約が無かったにも関わらず同一性保持権を巡った争いで著作者が不利な立場になっています。また希望の壁事件(大阪地裁平成25年9月6日決定平成25年(ヨ)第20003号)においても同様です。契約段階で予測できる翻訳翻案(改編など)について同一性保持権を著作者が主張しても通らないということです。
発注書や仕様書などの、契約書とは別の書類の中で、利用目的や公表方法、そして再編集の可能性と目的の示唆が記載されていれば、そこから「契約段階ですでに公表方法も再編集の可能性やその目的も類推できるはず」ということになります(ひこにゃん事件)。記名権や公表権に関しても同様です。
著作者人格権は著作者の創作意欲を高める反面、著作物の流通においては邪魔になることがあるため、すべてはバランスで判断されると思って良いと思います。その意味では著作者人格権というものは意外と弱いものなのです。ですので、必ずしも契約書に包括的不行使特約が必要かというと、そうではないということをご理解いただければと思います。
独占禁止法上も無茶な著作権の主張は難しい
続いて、著作権の扱いが、著作権法だけでなく、独占禁止法にも関係するという事例をご紹介します。
委託者のあまりに一方的な著作権の主張は独占禁止法的にも「コンプライアンス違反ではないか」という流れにあるようです。
ここで言う「一方的な著作権の主張」を契約書に盛り込む意図は、お客様が映像制作の過程で得られる素材などをすべて入手し、著作権という煩わしいものを意識せずに自由に二次利用や三次利用を含めて各方面で活用したいということなのでしょう。
しかしこの考え方は著作権法の精神から考えると大変危険です。「著作者の権利には最善の配慮をするべきだ」とするベルヌ条約の基本精神にも反すると同時に、あまりに一方的な著作権放棄の強制は、著作権法だけでなく、独占禁止法上も問題となる可能性があることが知られています。
その根拠は、公正取引委員会が、平成10年3月17日に公表した「役務の委託取引における優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の指針」です。ここでは以下の3つのケースで「独占禁止法上問題」となると指摘されています。
•(1) その映像著作物が委託者との取引の過程で得られたこと、また委託者の費用負担により製作されたことを理由として、一方的に著作権を委託者に帰属させる場合。
•(2) その映像著作物が、委託者との取引の過程で得られたこと、または委託者の費用負担により製作されたことを理由として、受託者に対し、一方的に二次利用を制限する場合。
•(3) 「他に転用可能な成果物等」が、委託者との取引の過程で得られたこと、または委託者の費用負担により製作されたことを理由として、一方的にその著作権を委託者に帰属させたり、受託者に対し、その二次利用を制限する場合。
上記の(1)がまさに一方的な著作権放棄の強制に相当します。あまりに一方的な著作権帰属の契約は後々コンプライアンス問題に発展する危険性をはらんでいます。権利を個別にどこからどこまで譲るかを明確に示す必要があるように思います。
(2)は、わかりやすいところで言うと、制作会社が制作実績として未編集素材の1カットを静止画で紹介しようとしたらクライアントから止められた、などの場合です。映像著作物の場合は、その編集された最終形態(完パケ)そのものが著作物であり、その著作物に含まれない撮影素材などの権利はまた別に考えるべきで、例え完パケの権利をすべて譲渡していたとしても撮影素材の権利は著作者としての制作会社に残っていると考えて良いでしょう。
(3)は、わかりやすい例で言うと、作品中に使えなかった余り素材を他の作品で使ったら差し止めをされた、などの場合です。余り素材は資料映像としての価値があり、他に転用可能な成果物となります。そこに映っている内容にもよると思いますが、その内容がお客様や第三者の権利を害していない限り、その素材の権利は完パケの権利譲渡後も著作者たる映像制作会社に属すると考えて良いでしょう。
ちょっと極端で、こんなことを主張するお客様が今までいたかというと、本当にごくごく少数ですし、弊社もあえて反論するような気すらありませんでしたが、これらの行為は著作権法上もクリエイターの権利を侵害している可能性がある上、独占禁止法上も問題がある可能性があると公に指針として示されているのです。
弊社でも契約書をご用意いたしております
これまで簡単に著作権の法的な特徴と制作者の権利についてご説明してまいりましたが、いかに映像制作やCG制作の契約書が難しい存在かご理解いただけたと思います。
自前の契約書を用意する多くのお客様は、法律家の持ってくる契約書をそのまま鵜呑みにしている傾向があり、それも仕方のないことかと思いますが、上記でご説明した通り、映像制作の契約はケースによって細かく記載すべき部分が多いので、ひな形そのものが怪しいものが多い印象です。その理由は簡単で、法律家は法律の専門家であって、映像制作の現場の実情やクリエイターの心理を理解しないまま契約書の文面を作成しているからでしょう。
さらに言うなら、著作権に詳しい法律家は限られています。会社の法務を担当している弁護士が映像制作などクリエイティブな業界にどれだけ詳しいかはよく調べる必要があると思います。
映像制作の契約書は法律にくわしいだけでは書けません。著作権以外にも複雑怪奇な条件が山のように想定できるのです。
例えば以下のような事例を考えてみましょう。これらは創作物の「品質」についての疑問です。
①お客様が求める映像の品質と仕様はどのように書面上で定義しますか?
②仕様の定義が不可能な場合、品質の判断基準は何を基準としますか?
③品質の判断ができないとしたら、何をもって作品の完成と言うのでしょう?
これらの質問に答えられる方がいるでしょうか?映像制作のプロからしても答えに窮する質問です。
例えば契約書に普通に使っている「納品」という言葉ですが、「完成」に必要な「品質」を定義できない以上、どうやって「納品」を定義するのでしょうか?
法的な争いにまで発展した場合、論理的にどうお互いの利益を守ることができるでしょうか?これは創作物に関する契約書を作るということがいかに難しいかを端的に物語る事例ではないでしょうか。
弊社では、お客様の利益を第一に考え、お客様が自由に映像等を活用することができ、かつ著作権などコンプライアンスにも留意し、お客様の安全・安心を担保できる発注書や契約書面のたたき台をご用意いたしますので、もし自社での書類作成に不安があるようでしたらご相談ください。弊社の書面は「本来クリエイターにあるべき権利をお客様に譲渡・許諾・同意する」という姿勢を明確にした上で、細分化して個別に確認するという内容です。
また、もし持ち込みの契約書による契約をお望みで、どうしても会社のシステム上、先に問題があるとご説明した「包括的著作者人格権の不行使特約」がなければ困るということであれば、あえて弊社ではお断りすることはありませんが、これまでご説明してきたようなコンプライアンス上の問題点は認識したうえで契約することをお勧めします。
また契約内容もさることながら、契約書で埋まらない部分は、人間的に信頼していただくための弊社の努力で埋めたいと思っております。私たちデキサは皆様の味方です。その姿勢を貫くことで、契約上のご不安を解消できたらと思っています。
映像メディアの品質などは言葉による定義が難しい以上、どこかでお客様と制作会社のスタッフとの信頼関係が試されるという現実を肝に銘じ、弊社スタッフ一同、全力を尽くしてまいります。
(記事・デキサホールディングス(株)代表取締役社長・プロデューサー 奥山正次)
※注1~職務著作とは
著作物の著作者になり得るのは、本来、実際に創作活動を行った個人(自然人)ですが、以下の要件をすべて満たす場合には、法人等の組織が著作者となります。これを職務著作又は法人著作といいます
《職務著作の要件》
① 法人等の発意に基づき創作された著作物であること
② その法人等の業務に従事する者が創作した著作物であること
③ その法人等の職務上創作した著作物であること
④ その法人等の著作名義で公表された著作物であること
⑤ その法人等内部の契約や就業規則等に別段の規定がないこと著作権法上の「法人」には、法人格を有するものの他に、法人格を有しない社団又 は財団で 代表者や管理人の定めのあるものを含みます。(著作権法第2条6項)
※注2~ベルヌプラス
ここで言うベルヌ条約より著作者人格権が強いという状況を「ベルヌプラス」と言い、日本の著作権法の性質を語る上で無視できないものです。著作者人格権を構成する三つの主な権利のうち、公表権と記名権に関してはベルヌ条約が定める権利そのものと言って良いのですが、同一性保持権についてのみ、ベルヌ条約では「意に反した改編を受けた時に異議を申し立てる権利(6条の2)」となっているのに対して日本の著作権法では「意に反した改編を受けない権利(20条)」となっています。つまり、おかしな改編をされたら意義を申し立てて良いですよ、というのがベルヌ条約で、そもそも意に反した改編なんか許しませんよ、というのが日本の著作権法ということでしょう。