映像制作の現場からタイトル

解像度比較第一回(2015/4/20)をお読みになる場合はこちらをご覧ください。>>解像度比較第一回の記事

あまりに反響が大きいフィルムとデジタルの比較論

一つの記事で、数年の時間を置いて書くということは珍しいのですが、実は非常事態というか、以前私が書いた「4K解像度と35mmフィルムの解像度」という記事に対する反響がすごく多くて、実際に私の会社まで電話で問い合わせをされる方が結構いらっしゃいました。それこそ大学の准教授先生から「目視評価の目安として大変参考になる」という賛同のご意見から、ハイアマチュアの写真家の方からの「フィルムは6000万画素に相当する」というご意見まで、まさに賛否両論です。

フィルム対電子撮像素子

私はディレクターでありプロデューサーです。つまり演出を含めて映像の「制作」が仕事ということです。映像制作という仕事をしていると、実はあまり解像度ということを意識することはありません。カメラマンやビデオエンジニアのような「撮影技術」などとはまた違った業務範囲だからです。

>>参考リンク~映像制作の詳細

とはいえ、私たち制作スタッフは最終的な作品のクオリティ評価をすべき立場にありますので、経験則や実際に目視での画質評価という点では、私たちのような仕事をしている人間は多少は敏感な感覚を持ち合わせていないと仕事にならないというのは確かです。そこで自分の実感と簡単な解説を基にして、4K解像度と映画用35mmフィルムの解像度の比較に「なめる程度」に触れたのが、以前書いた記事です。いわば、経験則からの感想文ですね。

とはいえ、興味がある方が多いご様子なので、ここに少し補てんの意味で、記事を足すことにいたしました。改めて少しお時間を頂戴してお付き合いをいただければと思います。

考察の大前提

これから「解像度」という観点からフィルム撮影システムと電子撮像デバイス撮影システムを比較しますが、総合的な「画質」を構成する要素の中から「解像度」だけを抜き出して議論・考察することそのものに、まずは意味を感じないというのが私の見解です。
前回の記事の場合、「解像度」は「フィルム信仰」を覆すためのひとつの事例としてご紹介したまでで、解像度比較そのものが議論の中心ではありませんでした。しかし今回は解像度を中心に話を進めることになります。ここに映像のプロとして抵抗を感じるのは事実です。

撮影機材上記にも説明しましたが、映像のプロはあまり解像度を単体で語る人はいません。総合的な画質を評価する人はもちろんいますし、私たちもコストと画質のバランスを見て機材導入を進めますので、当然、こうした画質評価はしますが、すべてはバランスです。スペックの一つにすぎない解像度にこだわるようなことは、映像のプロは一切いたしませんし、自分もあまり意識もしたことがありません。

プロの道具というものは、すべてバランスです。

例えば信頼性。プロの道具は北極だろうがエベレストの頂上だろうが、故障などあってはならないですし、多少落としたくらいで壊れるようなものは、いかにスペックが優れていても使い物になりません。すべては求められる瞬間に求められる通りに撮影できる。そのためのバランスこそプロの道具の条件です。

実際、私もかなり厳しい条件下での撮影を何度も行いました。
例えば皆さんあまり意識しないかもしれませんが、バッテリーの持ちというのは死活問題ですよ。テレビ番組のために東南アジアで長期ロケを行っていた時ですが、一緒にロケで組んでいたカメラマンがディレクターの私に血相変えて、「そろそろやばいです」と言うのです。「何が?」と聞いたら、バッテリーだという。もちろん僻地なのはわかっていたからカメラさんを含む技術スタッフは重たいのにバッテリーをたくさん持ってきてくれたのですが、私がちょっと回し過ぎたようで、想定していなかった位に使ってしまったわけですね。
じゃあ充電すりゃいいじゃん。そういうご意見はごもっとも。しかしそこ、電気すら通じてない僻地なんです。仕方ないからADさんに町まで下りてもらって、充電してきてもらいました。しかし町まで下りて戻るだけでも大変な場所なんです。道があまり良くないし危険なものだから川をチャーターしたボートで、ものすごい時間をかけてさかのぼってきたのです。ADさんはボートで一往復しました。言葉は通じないし、もう本当にこりごりですよね。
こういう経験があると、カメラの消費電力は本当に気になります。いくら画質が良くても消費電力が大きいカメラは使い道が限られます。ですからメモリー記録のENGカメラが登場した時は、迷わず会社で採用しました。テープ走行系のモーターが無いから電気を食わない。これだけでもプロの道具としては正義なのです。

つまるところプロの道具はバランス。これに尽きるのです。多少画質的なスペックが劣っていても他が良くてバランスに優れるならそっちを選ぶんです。仕事というのはそういうものではありませんかね。

>>参考リンク~撮影機材の詳細

ただし、映像や写真を趣味とされている方々としては、こういった「解像度」や「ダイナミックレンジ」に代表される「スペック」というのは、所有する満足感や知識欲という観点から否定されるものではないと私は思います。仕事では非効率なことでも、趣味というのはそもそも非効率を楽しむという側面もあるからです。それが人生の喜びの一つになることは本当に良いことですし、むしろ歓迎すべきことだと私も思います。

上記、私の基本的立場をご理解いただいた方は先にお進みください。そして実証データなど参考になるものがあるようでしたら、ぜひご意見を頂戴したいと思います。

より具体的な記事になるよう、当記事については検証を繰り返し、改編を行ってまいります。今後はフィルムの拡大写真での解説なども交える予定ですので、お楽しみに。(2018年8月1日現在)

結論として500万~1500万画素相当

135フィルムまず結論から先に申し上げたいと思います。
撮影~視聴までのシステム全体の「解像感」として、概ねスチル写真フィルムの場合(横送りの35mm)で、1000万画素から良くて1500万画素の撮像素子相当、映画フィルム(縦送りの35mm)で悪い場合はHDと4Kの間を取って3K程度という意味で500万画素相当、すごく良いカメラとレンズでオリジナルネガから近いプリントなど状態が良い場合でせいぜいどんなに過大評価をしても4K相当までは届かないだろうというのが、私の目視での評価です。
もちろんレンズなどの性能、電子撮像デバイスの色フィルターの方式等によっては大幅に上下するでしょうが、概ねこんな感じかなと思います。(デジタルはスチルで135フルサイズ撮像素子、デジタルシネマはスーパー35などの撮像素子を想定しています。)

ムービーフィルムがスチルより相対的に悪くなるのは当たり前です。横送りと縦送りでは使っているフィルムの撮像面積が圧倒的に違うからです。しかし視覚的にはそれ以上にムービーは悪く感じます。これについては詳しくは後述しますが、撮影時や映写時の振動の影響がかなり悪さをしているのではないかと私は考えています。

35mmスチルカメラの解像感評価

スチル写真フィルムもちろんスチル写真の低感度なフィルムなどの場合、かなり粒状性に優れたものが存在しますので一概には言えないのですが、写真フィルム(横送り)の場合、良いフィルムで、2000年以前に売られていた割と高級な国産の一眼レフカメラ(ニコンF5のようなプロ用カメラの類)やキレの良い単焦点レンズを使った場合、1500万画素程度の電子デバイスと同等程度の解像感が出ていれば御の字。大抵の条件なら1000万画素くらいでしょう。

もちろんフィルムはモアレも出ませんし、斜めの解像度に悪影響を与える要素がありません。格子状に規則的に画素が並んでいる電子撮像デバイスと違ってフィルムはランダムな粒子の集まりですから、限界の細かな部分の表現がおだやかにボケるという感じがあります。そのためどこまでを解像度として判別していいかが難しいのですが、どんなに甘く評価しても2000万画素相当まではまず届いていないでしょうね。135フォーマットのフィルムの面積では、これ以上は難しいと思います。

フルサイズやAPS-Cクラスなど大きなサイズの場合に限りますが、電子撮像デバイスもここまで来ると、もう解像度という概念ではなく、表現力という評価基準で語るべきレベルです。ある意味で不毛な画素数競争は終わりをつげ、感度を優先して画素数を下げるというようなことまでやりはじめています。スペックを追うより実利を取る。これは歓迎すべきメーカーさんの姿勢です。

35mm映画フィルムの解像感評価

4KとHDの解像度映画フィルムの場合、日本ではすでに35mmフィルムを使った撮影など絶滅危惧種を通り越して天然記念物扱いですので、もはや実務ではほぼ使われません。ですので仕事でちょっと前の映画用35ミリのプリント(たぶんネガからの鮮度の高いプリント)を観た時の印象ではあるのですが、当時のレンズや撮影機材の技術的水準では、正直、今の4Kカメラ同等(800万画素程度)まで解像感は出ていません。フィルム派の方々に遠慮せずにホンネを言えば、1コマのキレ(解像感)ということなら、圧倒的に4Kのほうが上の印象です。
これがネガからのプリントですから、一般的な映画館で上映用として使われるデュープ(複製ネガ)からのプリントだったら、さらに解像感や粒状性など画質全体が劣化します。そうなると、フルHDよりは絶対的に良いとしても、残念ながら4Kまでは絶対に届かないでしょう。

>>参考リンク~4K映像制作

参考になるのはPanasonicの映画用デジタルカメラ、バリカムで撮影され、最終的にフィルムにキネコして上映された映画『突入せよ!あさま山荘事件』あたりではないでしょうか。(※注1)
あの当時のバリカムはまだ発展途上で撮影フォーマットは720P(1280×720ピクセルFIT型CCD三板式DVCPRO-HD磁気テープ記録)でした。1280×720ということは92万1600画素です。たった92万画素でしたが、そのキネコの画質は、「ちょっと甘いかな…でも、まずまず実用性はありそう」という感じの印象でした。とはいえ、フィルム撮影の従来の映画と比較して大きく劣るということも感じませんでした。(技術さんもうまかったのでしょうね。)

このバリカム登場以降、急速に日本ではデジタルビデオカメラのプログレッシブモードによる映画撮影が普及し、海外においてもシネアルタなどソニーのプログレッシブデジタルシネマカメラが普及しています。

HPX-555カメラ
↑Panasonic AG-HPX555

例えば『踊る大捜査線』などではバリカムの流れをくむPanasonicのデジタルビデオカメラHPX-555等が多用されています。このカメラはすでにもう映画専用カメラですらなく、テレビ放送用として一般的な1080iでの撮影がメインの位置づけのカメラで、映画撮影用として1080Pも一応撮影できるというものです。
正式に公表されているデータではありませんが、このカメラのCCDはたった960×540ピクセル。三板式であることを利用してGのCCDのみをH方向とV方向のそれぞれにオフセット(画素ずらし)してHDに必要な高周波成分を生み出すというものです。
記録もDVCPRO-HDの1080Pですから1280×1080ピクセルで横1.5倍のスクイーズ表示(引き伸ばし)をするのです。ということは1フレームを構成する総画素数は138万2400ピクセルとなり、先ほどのバリカムより少し良いという程度ですね。
それでも、この位のキレがあると、私の感覚ではもう「甘さ」を意識せずに内容に入り込める感じでした。

つまりですね、普段映画館で観ている映画って、思ったよりキレという点ではいい加減なものなんです。たった92万画素や138万画素程度でも私ら30年選手のテレビ業界のプロが見て「少し甘いかな…」と感じる程度なんです。少なくとも「ひどいなコレ!まったく使い物にならない!」とは感じませんでした。ですから映画館にデジタルシネマプロジェクターが普及した頃、2K(250万画素前後)クラスのプロジェクターが導入されたことも、ある意味納得できるものでした。これくらいあれば、あとは黒がどれだけ締まって見えるか?階調を表現するための量子化bit数はどの程度か?といった総合的な画質さえ整っていれば、表現上はまったく問題ないと言えると思います。
少々キレが甘くても、動いている画を撮影している限りは、割と見れるんですよ。動画ってそういうものなんです。そもそもフォーカスが合っている部分しかキレというのはわかりにくいですしね。

以前書いた記事ではこの一般論については明言は避けました。というのも記事のテーマが「電子画像技術や、その技術者たちへの畏敬の念を持ってほしい」ということでしたので、ごくごく一部分の事実を基に、いわゆる「電気紙芝居」の優位性もあるということをお分かりいただくことが主眼だったため、全部の議論を尽くす必要が無かったためです。しかし記事の「解像度」に関するごくごく一部分が独り歩きをしてしまったため、ここではもう少し突っ込んだ話をしてみたいと思います。要するに反響があまりに大きくて補足説明の必要性に迫られたという感じでしょうか。

逆論法で考える

フィルムには多くの利点があります。まず、事実としてですが、銀塩写真のフィルムというのは、よく耳にするように、それこそ天文学的な数の感光材の粒子が塗布されているわけです。いわゆる単純な「画素数」ということであれば、フィルムは撮像素子を圧倒していると言っても過言ではありません。
ちなみに富士フィルムの論文での記述を基にすると、いわゆる35mmフィルムの横送り8パーフォレーションで一画面とする135フォーマットの場合で1コマに2000万画素以上は確実と言われています。
データシートを見ても160本/mmくらいの潜在能力がフィルムにはあるのです。これは本当に驚異的な精細度です。
また、画素が規則的に並ぶ電子撮像素子と違い、フィルムには斜め方向の解像感や描写性を悪くするような要素がありません。モアレも原理的に発生しません。こうしたいわゆる「斜め方向の描写」は電子撮像デバイスが一番不得手としているところです。それがフィルムにはありませんから、大きなメリットと考えて良いと思います。
とにかくフィルムには化学記録だからこその大きなメリットがたくさんあるのです。

ところが映像のプロとしての眼で冷静に評価し、経験則的にも感覚的にも、またレンズから投影(画面に映すまたは現像なども含めた可視化まで)までのシステム全体の解像感としても、せいぜいスチルカメラで1000~1500万画素、ムービーならどんなに良く見積もっても4K以下の電子撮像デバイス相当で、たぶん3K程度の能力でしょう。

では、どうして銀塩のフィルムは、この粒子数の多さに比例した解像感を得ることができないのでしょうか?

ここでは、上記のような逆の論法での話を進めてみたいと思います。実はこのフィルムとデジタルの比較という議論は、単純な画素数ということだけで見てしまうと、本質を見失うことがあります。結果として得られる画像の解像感というものは単純に撮像デバイス(銀塩VS電子デバイス)の違いだけでは語れないということは以前の記事でも書きましたが、撮影から表示までのシステム全体で比較すれば、この上記の疑問への答えが見えてきます。

フィルムの弱点と電子デバイスの利点を考える

まず絶対的な画素数という意味では、フィルムの画素数は膨大なものとなっています。ところがそれを活かしきれない。それはなぜか?という観点からフィルムと電子デバイスの比較を見てみることにしましょう。

フィルムの感光膜層にフォーカスさせる難しさ

レンズから入った光は、CCDや感光膜などの撮像デバイスのところで結像し、きれいにフォーカスすることが求められます。このようにきれいに結像しているバックフォーカス面はまさに「平面」です。実際は少し球状に歪んではいますが、ここでは理想状態を考え、完全な平面として考えましょう。しかもこのフォーカス面はまさに「厚みゼロ」です。この面から奥に少しずれても手前にずれても、フォーカスしません。ということは、撮像デバイスの感光する層には「厚みがあってはならない」ということです。
ところがフィルムの感光膜層には厚みがあります。

一般的な写真フィルムというのは、0.1~0.2mm程度のポリエステルの支持体に0.02mm程度の厚みで感光剤を含む乳剤を塗布しています。この乳剤の層が光を記録する感光膜層となります。
もう少し詳しく書くと、0.02mmの乳剤層は大きく三つの層からなり、表面側から青用の感光膜、中央が緑用の感光膜、一番奥が赤用の感光膜というのが一般的なカラーフィルムの構造です。これは光の波長(色)による屈折率の違い(分散)を考慮に入れた設計(厚み自体がチューニングの一種でありサジ加減)なのでしょうが、色収差はレンズによってもかなり違うため、本来の理想は厚みゼロです。

理想状態を考えれば、感光膜層の厚みの中央、つまり緑用の感光膜の中心でフォーカスした場合が色収差ゼロのレンズを前提とすれば(そんなもの無いのでしょうが)一番機械的な解像度を得ることができるわけですが、この場合でも感光膜層の奥や手前ではフォーカスがボケますから、一番ボケているところのサイズが画像を構成する最小単位のサイズとなってしまうのです。その結果、フィルムの場合は粒子数がそのまま解像度に直結しにくいという状況が、理屈上は推定されます。(※注2)

反面、電子デバイスの場合、厚みゼロの感光面を作れますので、その点で画素数がそのまま解像度と直結します。

とはいえ、上記はあくまで理屈上の話であって、ここまで微細な領域になると、レンズがはたしてそこまで正確に結像させられるか?という問題もあります(これは後述します)。実際は感光膜層の厚みよりもレンズの分解能が劣るという感じでしょうし、感光膜層の厚みについても、必要とあらばもっと薄くする技術はあるでしょうから、レンズなどの能力を考え、総合的なチューニングとしてこの厚みで良いという設計意図ではないかと私は思っています。

機械的剛性の低さ

続いてフィルムの柔らかさに起因する問題を取り上げます。フィルムはポリエステルベースに感光材を塗布しているわけですが、まさにペラペラです。しっかり引っ張っても毎回同じ平面になりません。平滑性という意味においても物理的に限界があります。しかも撮影する度にフィルムそのものを物理的に送るのですから、本当にフィルムの感光膜層に正確に結像できるか怪しいところです。

フィルムはペラペラ

スチルカメラなら露光の瞬間に動く部分はシャッターだけですのでまだ不安要素は少ないですが、ムービーフィルムカメラなどの場合はフルフルとカメラの中でフィルムそのものが絶えず震えています。カメラの中でフィルムは一定のたるみを持ちながら1コマずつ送られていきます。これはフィルムが何らかの抵抗で切れることを防ぐためなのですが、撮像媒体であるフィルムそのものが震えているのは精神安定上も良くないです。
さらにローリングシャッターの振動、モーターの振動、とにかく様々な振動が発生しているためカメラの撮影機構そのものが不安定です。至る所で微細な振動が常にあり、その振動によってカメラの部品のいたるところが細かく共振している状況です。その中でフィルムを毎秒24コマ送っては止め、送っては止めを繰り返すのです。
もちろんカメラやフィルムのメーカーもバカではありませんから、こうした振動や音についてはそれ相応の対策を講じています。とはいえそれが問題を完全に解決するには至らなかったのではないでしょうか。

このムービーフィルムカメラの振動こそ、スチルのフィルムカメラに比較してムービーフィルムカメラの画質評価を著しく下げてしまっている要因であると考えています。広角ならまだいいのですが、望遠となるとどんなにカメラを固定しても微細な振動が気になります。
感覚的にどう表現したらよいかわかりませんが、画が安定しないのは仕方がないこととして、それ以外にも、なんとなく明瞭さに欠ける印象があります。もしかしたら露光している瞬間にも微妙に周波数の高い振動によってレンズからの光軸やフィルムそのものが動いてしまっているのかもしれません。つまり非常に短い露光時間の中でブレを起こしているような状況とも言えるかと。かなり神経をとがらせて見なければ気になることは無いのかもしれませんが、その時は画質評価をするつもりで見ましたので、多少煮え切らない気持ちで画を見たということです。

またフィルムの穴(パーフォレーション)も一定の遊びがありますので、微振動を起こす要因となっています。前の回でも書きましたが、昔映画館でフィルム上映の映画を観ると、画面が上下に揺れていたのを覚えている人はいるかと思います。あれは完全にパーフォレーションの遊びです。パーフォレーションはやわらかいポリエステルフィルムに空いた穴ですから、どうしても正確に送るということが難しいのです。撮影時の揺れと上映時の揺れのダブルパンチですから、結構揺れます。また映写機の他の様々な振動の影響を受けますので、もはやムービーにおいてはフィルムの解像度云々よりも先に解決すべき問題があるという感想です。
基本的にムービーフィルムというのは動いている被写体を撮影するためのものなので、これでも実用上は問題ないと思うのですが、もし静物を撮影するなら気になる人はいると思います。(これを味と感じるなら良いのですがね。)

反面、デジタルは原理的にソリッドです。CCDやCMOSなど撮像素子そのものが動くことはありません。最近は記録系も個体メモリー記録ですから、そもそも振動を起こす要素がまったくないのです。レンズのフランジバック調整をしてバックフォーカスをしっかり整えておけば、結像面が感光面からずれる可能性はありません。
また、デジタルムービーの場合は映写時も振動がありませんので、視覚的に安定しています。何も揺れません。これ、当たり前のことですけど、デジタルの良さです。
揺れはそのまま画像のブレとなります。そしてそのブレは解像感に悪影響を及ぼします。これがデジタルは一切ありません。

レンズの解像度

続いてレンズ性能の限界です。レンズにもキレが良いレンズとそうでもないレンズがあります。とはいえ、どんなに性能の良いレンズであっても、無限に細かい描写ができるというものではありません。

経験則では動画用レンズの場合F8くらいの露出にした時が一番キレが良くなるように感じますが、レンズというのは露出を開くと様々な収差の影響が大きくなり、絞ると回析の影響が大きくなりエアリーディスクなどの現象が目立つようになるという特性があるからです。ちょうどそのバランスが良いポイントがF8あたりの露出になるのでしょうかね。このあたりは私は経験則からしかお話しできないので、もっと詳しい方が話すべきでしょう。

さて、上記の説明を読めばわかりますが、レンズというのは、それそのものに限界性能があります。光というものが持つ特性に起因する物理的限界と言っても過言ではありません。では今のレンズはどの程度の限界性能を持っているのでしょうか?

簡単にわかりやすく言うと、スチルの横送り35ミリフィルムと同じイメージサイズだとすると、絞りによっては2000万画素程度の撮像素子で限界に達してしまいそうです。
可視光の波長を概ね0.0005mm程度とすると、この場合の回析によるエアリーディスクの大きさは絞りにもよりますが、0.001mmから0.01mm程度となります。これは回析の影響だけの話で、実際にはレンズの収差がたくさんありますので、実際のレンズはもっと悪いと思って間違いありません。

35mmフルサイズの2200万画素クラスのデジカメの場合、一つの画素のピッチが0.006mmくらいですので、露出F8時の回析によって生じるエアリーディスクの直径(計算による理論値で0.0049mm)とおよそ同じ値となっています。つまりもう135フォーマットの撮像面積で2000万画素クラスの撮像素子になると、レンズの物理的限界にぶつかってしまうということです。
このレンズの限界はもちろんフィルムも電子撮像デバイスも同じように影響を受けます。私が最近買ったデジタル一眼は2000万画素以上あるのですが、正直、1600万画素程度のちょっと前のデジタル一眼と見分けがつきません。画像のピクセル数は大きいのですが、いくらフォーカスを丁寧に合わせても、細かいところで分解できているかというと、混濁してしまっている感じで正直怪しいです。プライベートで使うデジタル一眼ですから実用上まったく問題はありませんが、気軽に買ったカメラでレンズも同メーカーのまずまずのものを一緒に買ってそのまま使っていますから、これはもうレンズが限界でしょう。というより、レンズがいくら超高級品の良いものになったとしても解決できるものかどうか正直疑問というレベルの話です。(レンズ性能というのはキレだけでは語れませんから高級だからといってキレが良いとも限らない)

ここまでのまとめ

上記でフィルムが、こと解像感という一点においてなぜその潜在能力を活かしきれないのか?という観点から考察をしましたが、カメラというものは1000分の1mm単位の寸法にいかにきれいに光を結像させるか?という設計をしているわけで、このくらいのサイズになると、もはやフィルムやCCD・CMOSなど撮像デバイスの性質を超えて、結像するレンズの限界や微細な振動すら悪影響となる可能性があることがお分かりいただけたのではないかと思います。

2018年現在、映画などの業界で、撮影にはフィルムを使いポスプロ以降はそのフィルムからテレシネしたデジタルデータを使うという方法が流行しそうですが、なぜ撮影にフィルムを使うのか?そこには絶対的解像度というより、フィルムが持つ解像感の「質」のようなものが関係しているように思います。
何と表現して良いか、良い表現があれば教えてほしいのですが、線と線が厳密には混濁してもなお何となく解像しているように感じるボケはじめの「粘り感」「あやふや感」こそ、フィルムの解像感の良さではないかと思っているのですが、こうした良さは今後テレシネの機材が8K・16Kと進化していく中でも再現されるわけで、より高い高解像度でのデジタルテレシネをする必然性のようなものを与えてくれます。こうした芸術表現を目的としたフィルム撮影の選択は単純な技術論からの目線で否定されるべきものではないと私は思っています。

さらに言うと電子撮像デバイスはモアレが発生します。ハイパスフィルターのようなものでなるべく目立たないようにはしているのでしょうが、そういう電子回路系の介入が視覚的・心理的に何かの問題を起こしている可能性は否定できません。それが嫌ならもう本当にフィルムで撮影するしかありません。

また、撮影時のみにフィルムを使うなら、パーフォレーションに起因する揺れなどもテレシネ後のデジタルスタビライザー処理で修正可能ですし、キズなども補正可能です。つまり一度デジタルにすることによってフィルムの弱点部分を補正することが可能で、フィルムのポジティブな部分をさらに引き立てる可能性があるということです。

銀塩の粒子はそんなに細かいか?

続いてはよく誤解がある話をしようと思います。それはフィルムに塗布されている感光剤の粒子のサイズの話です。

まず大前提として、フィルムの感光剤のハロゲン化銀は「分子単位」で感光するのではなく、結晶としての「粒子単位」で感光するということをお話ししたいと思います。

確かに分子サイズで言えばハロゲン化銀1分子のサイズは0.3nmと言われ、このサイズがびっしりとフィルムに塗られていたとしたら、ものすごい桁が違う画素数になってしまいます。しかしこの数字を根拠に、「デジカメよりフィルムのほうが潜在的な解像度が高い」と結論づけるのは全くの間違いです。

ハロゲン化銀は分子単体で感光するわけではなく、結晶化した粒子の状態で感光します。
なぜハロゲン化銀が光に当たると銀原子を作り出すのか?という原理的なことはGurney-Mott の感光説などをググってお読みいただければと思いますが、概ねこの感光という現象は、ハロゲン化銀の分子単体ではなくて結晶の粒子としての働きであることが知られています。

ではこの粒子はどのような形をしているのでしょう。

粒子の形状は平板

ネガフィルムに使われる粒子は、昔はSJ法という方法で成長させた「じゃがいも粒子」と呼ばれる不定形な結晶の粒子が一般的でしたが、現在はかなり進んだ方法も使われているようで、どうやら多角形の平板の形をした粒子が多いようです。平らな粒子がサイズと感度のバランスが良いのだそうです。

ハロゲン化銀は粒子の体積が小さいと感度が低くなりますが、大きければ良いかというと、大きくても飽和してしまうという性質があります。また反面、表面積は大きい方が感度が高まるという性質もあります。
つまり体積が適度で、なおかつ表面積は大きいほうが良いということになると、球状や正多面体というよりは、押しつぶしたような平らな形状のほうが一定体積のまま表面積を大きくできるわけですね。このような理屈で平板な形が選ばれるようです。

粒子サイズは0.001mm前後

ではサイズはというと、0.001mm前後ということです。このハロゲン化銀粒子がゼラチンの中に無秩序な配列で溶け込み、それが0.02mmの厚みでポリエステルの上に塗られていると考えるとイメージしやすいのではないでしょうか。

粒子サイズが0.001mmというのはかなり小さいですね。135フォーマットの2200万画素クラスのデジカメの場合、一つの電子デバイスの画素のピッチが0.006mm前後ですから、およそ6分の1のサイズです。とはいえ銀塩の場合は粒子がゼラチンの中に不均一に溶け込んでいる状況ですからビッシリと並んでいるわけではありません。35mm写真フィルムの場合で1画面あたりおよそ2000万個というのが定説となっています。(富士写真フィルム足柄研究所 谷忠昭1992年11月24日受理)

ここまでのまとめ

これらの状況を基に考えるとこれまで出てきた様々な要素をまとめると以下のようになります。

・フィルムの感光膜層は0.02mm程度の厚みがあり光の束が集束した点からズレて感光する粒子が存在する
・フィルムは剛性が低いためレンズの集束点からズレる可能性がある
・特にムービーフィルムカメラの場合は機械的振動による共振共鳴の影響が否定できない
・そもそもレンズに収差と回析が起きる以上理想的な集束が難しく35mmのサイズで2000万画素相当以上の描画は困難
・ハロゲン化銀の結晶粒子サイズは0.001mm程度だがゼラチンに溶かしているため2000万画素程度である

いかがでしょうか?大体ですが、本来35mmフィルムは2000万画素以上の粒子数があるのですが、上記のいくつかの原因によってそのパフォーマンスを最大限活かすことができず、理論値から数割解像感が減ってしまっているというのが真相ではないでしょうか?
これなら経験則として35mmスチルカメラので1500万画素相当、条件がとても良い35mmムービーカメラで1000万画素以下、普通のレベルで3K相当の500万画素という経験則からの解像度評価と、何となく一致してくるのではないでしょうか?

とはいえ、確かに「フィルムはもっと潜在能力があるのでは?」という意見についても無視はできません。あくまで、過去の経験則から、いろいろ使ったり見たりしたものからの判断なので、経験則からの評価の域を脱していないからです。
一つ、銀塩フィルムに有利かなと思えるのは粒子の不均一さによる特定パターンの無さと、粒子の絶対サイズが小さいという点ではないかと思います。これらが解像→混濁の境目における粘りやあやふやさとして感じられるのではと類推しているのですが、皆さんのご意見はいかがなものでしょうか。
とはいえ、もうすでにデジタルカメラや4Kカメラなど電子撮像デバイスによるものも、実用的には道具としての完成度でフィルムをすでに大きく超えていると言っても良いかと思っています。

個人的にはもう「考察してもしょうがない」というレベル

以上、35mmフィルムと35mmデジタルカメラの解像度を考察してきましたが、私個人としての意見を言わせてもらえれば、今のデジカメなどの電子撮像デバイスは、フィルムとの比較論で語る時代ではありません。フィルムの代替品としてCCDやCMOSがあると考えているユーザーはすでに少数派だからです。
もう「何も問題が無い」「必要にして十分」という時点で、電子撮像デバイスは表現の道具として独立した存在となっているのです。

どっちが解像度が高いか?をいくら語っても、その環境において出せる理論解像度を出せるかどうかは別問題です。レンズのフランジバック調整が少しずれただけで撮像面に結像しませんし、多くの場合、少しくらいズレていても気にせず使っている人がほとんどでしょう。調整にしても肉眼とカンにより手を使って行う以上、バッチリ合わせることは困難です。私らプロの使っている4Kカメラ用のシネズームレンズだってはたして本当に合っているかどうか。しかし実用上、問題が無いほどキレの良い映像が撮影できている。これが重要なことです。

私が個人として使っている一眼レフのデジカメも、普段の使い方はサッと構えてオートフォーカスでパシャリと撮影するくらいです。オートフォーカスがどれだけ信頼できるかわかりませんし、そもそも手持ちで揺れているわけですから、どんなにホールドしても限界があります。ボケやブレは必ず発生し、キレを失います。
とはいえ、一度風景写真を撮影するために三脚で撮影しましたが、この時はもう本当に美しい写真が撮れました。ここで大切なことは「美しい」と感じることです。美しいなら良いではありませんか。ちょっとくらいトリミングしてもキレは十分ですし、紙に印刷してもとても良い。

リバーサルによるフィルム撮影は発色が美しいが、リバーサルはもうほとんど売ってませんし、今さら押入れから銀塩カメラを探す気にもなりません。なぜならより簡易に撮影でき、しかも結果を期待できるデジタル機材が目の前にあるからです。

確かに昔は本当にロマンがありました。私は昔映画オタクでしたので、8ミリに始まり、16ミリまで自腹の趣味でやりました。湯水のごとくフィルムを消費するあの醍醐味、そしてカメラがまさに「回る」というあの実感。そこにはロマンがありました。
今もアリフレックスの416のカタログを見ながらニヤニヤしています。これは現代の技術を使った16ミリの最高峰だけあって機能もすばらしい。クオーツ制御で正確に24フレームフィルムが送られ、たぶんですが昔のカメラとは比較にならないくらい静かで振動も少ないでしょう。これを使って大地の息吹と時の流れをフィルムに焼き付けたい。美しいものを美しいままにフィルムに定着させたい。そういう衝動にかられることは確かにあります。

フィルムの魅力は、その定着過程のダイレクトさです。回っているフィルムそのものを光が通り抜けて像が焼き付けられていく。まさにレンズを通った光そのものがフィルムに直接こびりついたかのような感覚。フィルムそのものの中にその瞬間を封じ込めたような錯覚を覚えるのです。

デジタルはその点において間接的です。撮像素子で変換された電気信号がメモリーに記録される。光が当たったのは撮像素子であり、メモリーではありません。しかもメモリーはあくまでデータの入れ物にすぎず何度も使いまわされる。残っているのはデータだけです。実態としての何かが残るわけではない。0と1の羅列。これがすべて。

フィルムは実態として、その瞬間の光を封じ込めたネガが残る。感覚的なものですが、これはとても重要な気がします。フィルムそのものがまさに何かのモニュメントやアイコンとして機能している気がするのです。

しかしそれはあくまでノスタルジーであって、現実ではありません。今の私には食べさせ学ばせるべき子供がおり、仕事としての映像があります。頼ってくれるお客様や同業の仲間もいる。だから今日もデジタル機器と向かい合います。そしてその人生に私は結構満足している。これが重要。

では皆さん、またお会いしましょう。

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解像度比較第一回(2015/4/20)をお読みになる場合はこちらをご覧ください。>>解像度比較第一回の記事

※注1~撮影に使われたのは2001年11月5日にPanasonicが発表したVARICAM(AJ-HDC27F)。100万画素FIT-CCD三板式、映像S/N比54dB、水平解像度700本、感度F12(2000lux)、DVCPRO-HD720P(1280×720ピクセルのプログレッシブ方式)磁気テープ記録。

※注2~緑という色は光の三原色の中で一番視覚的解像感(解像度ではありません)に影響する色であるためフィルムの中心の層になっているのではないかと推察できる。
実はCCDやCMOSなど電子デバイスも緑の解像度をもっとも重要視しており、単板式の撮像素子に使われる色フィルターは緑の機械的解像度が一番出やすい構造をしている(ベイヤーフィルター等)。また色は波長が長く振幅方向にエネルギーを使うものほど速度が遅く実際にはレンズを通った光には波長による分散が起きるため、そうした影響も考慮した上で光学系は設計されているものと思われる。

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手技術式動画撮影風景弊社デキサは外部の撮影技術会社に極力頼らず自社で撮影機材を持ち撮影を行うことに、創業当時からこだわってきました。可能な限り映像制作の細部まで自分たちで理解して把握する。これが総合的に映像をプロデュースする上で欠かせないノウハウであると思うからです。
また、使用履歴がハッキリしている機材を用いるため、手術室の撮影など衛生管理が必要な場面の撮影でも安心です。もちろん自社機材なのでメンテナンス情報も明確、トラブルを未然に防ぎ、撮影を滞りなく進めるための信頼性の確保に大きく役立っています。

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