映像制作の現場からタイトル
2020/10/31公開

ちょっと困ったご相談が増えています

「手元に撮影した動画の素材があるのですが、編集してもらえませんか?」

最近、こういうお電話を頂戴することが多くなりました。コロナの影響によって、会社内で研修を対面で行うことが難しくなり、社内の動画を趣味としている社員さんが会社の教育担当者の方と相談しながら撮影した素材の編集の相談がほとんどです。
多分ですが、撮影までは自分でできると思ったのでしょう。そしてその素材をプロに渡せばキレイに仕上がるのでは?そんな期待を持ってしまうのも心境としては理解できます。しかし事はそんなに単純ではありません。

映像制作現場

基本的に私たちが映像作品を制作する場合、主なメインの流れとなる映像素材は私たちが自分たちの手で撮影を行います。もちろん私たちが撮影できない部分などは、写真やこれまで撮影した動画などをお借りして作品中に挿入することはありますし、いただける素材があるならそれは本当にうれしいです。いただける素材があるなら例え多少ブレていようがアングルが悪かろうが、無いよりはあったほうが絶対に良いし作品の幅も広がります。ですから、手持ち素材があるなら全部ください。
とはいえ、一回も撮影に出ず、いただいた素材だけで作品をまとめるというのは、本気で難しいので、ここだけは考えを少し改めてみてほしいのです。

撮影と編集は一体で考える

編集室

動画編集設備の例。ここはオフライン編集を行う簡易編集室

編集を行うための元となる素材の撮影というのは、編集された時にちゃんとつながるように撮影されていなければなりません。つまり編集のプランが先にあって、その編集のプランに合うように撮影を行うのです。工程上は撮影が先ですが、映像制作者のアタマの中では編集の仕上がりが先にイメージされていて、そのイメージを具体化するために必要な素材を撮影段階で撮っているのです。ですから、プランもなしに撮影した素材を編集することなど出来ないのです。

編集の仕上がりをイメージし、ナレーションも含めて紙におこしたものが「台本」です。つまり台本段階で、ほとんど編集の仕上がりはイメージできているのです。そしてその台本を基にして撮影では監督、AD、カメラマン、ビデオエンジニア、音声マン、照明マンが仕事をするのです。撮影段階では台本を基に撮影していますから、当然その撮影素材は編集でつながるようにコントロールされています。ですから、多少の工夫やひらめきはあるにせよ、編集はあくまでイメージとして既にある形に切って貼るだけです。

つまり、繰り返しになりますが、メインの素材は私たちが撮影します。もし、作品内に挿入できそうな過去の動画や写真などの素材があるなら、台本を書く段階でください。その素材をすべて見た上でどう作品の中で使うかも計算した上で台本を書いて、足りない不足する部分を私たちが補填するように上手に撮影を行い、映像作品として成立するようにうまく組み上げます。これなら「つないだけど成立しません」という事態は防げますし、過去のお手持ちの素材も上手に活かすことができます。

そしてこれも繰り返しになりますが、ロケを一回も出さずにいただき素材だけで編集をするというご依頼だけは、考え直していただきたいのです。編集だけ独立した作業として成り立つわけではないのですから。

編集は監督のもの

では何でテレビ業界や映画業界では、編集マンという立ち位置の独立したスタッフが存在できるのでしょう?これは簡単。編集マンは監督の指示通りにつないでいるからです。つまり企画段階からその作品の内容について監理を行っている監督が、編集にも立ち会って、編集マンの技術を借りながらつないでいるだけなのです。編集マンが勝手に自分で判断してつないでいるわけではありません。撮影のときと同じように台本を基にして、監督と一緒になって編集の技術を提供するのです。
しかもバラバラの素材だけを編集マンが受け取って作業をするわけではありません。まず、監督自身が簡単な編集機材を使ってオフラインという作業を行います。これは「ザックリとつなぐ」という作業です。オフラインが終わった映像作品は、ナレーションも入っていませんしテロップも入っていませんが、台本を読みながら見れば、どのような意図でどう話が流れていくのか?大体のストーリーがわかる程度までは出来上がっています。もちろん撮影に携わった監督しか、どのテイクがOKで、どのテイクがNGかわかりようがないので、オフラインではNGは省き、ベストショットしか残っていません。
逆に言えばポストプロダクション(編集やMAなど仕上げを担当する会社の編集スタジオ)で行う作業というのは、すでに流れがわかりやすく整理されており、ほぼほぼ完成という状態のオフラインを見ながら、監督と編集マンが作品の流れや意図を把握して意思疎通をはかった上で仕上げを行うだけなのです。

どうですか?撮影素材を第三者にそのまま渡して「編集だけお願いします」というのが、いかに乱暴な話かご理解いただけますでしょうか?また、編集というのは撮影の前提として既に考慮されていて然るべきものだということもお分かりいただけるでしょう。

もしどうしてもと言うなら

さて、上記のように、編集だけお引き受けするのは大変難しい仕事だということはご理解いただけたと思います。素材だけ渡していただいても、どこがOKでどこがNGテイクなのか見当がつきませんし、編集だけするにしても、扱う題材について編集マンも資料を読み解きつつ勉強し、理解した上で作業を行う必要があります。時間も余計にかかるでしょう。
また、編集をしてみたら素材が足りないなどのトラブルも、途中で判明することが多いです。こうした場合の追加撮影の提案など、編集以外にも弊社のほうでコントロールをしなければなりません。
それが分かった上でも、少々時間をかけてお金をかけてでも編集だけ依頼したいということであれば、ご相談には応じさせていただいております。というのも、弊社の場合は自社内でCGやイラストなどを制作する機能がありますので、素材が足りない分を、CGやイラストで補いながら編集することができるからです。また社内に撮影機材も揃っておりますので、ちょっとした撮影であればすぐ空いているスケジュールで撮りに行くこともできます。
すでに社内で撮影だけ済ませてしまったなど、いろいろな理由が考えられますが、ご相談には応じさせていただきますので、遠慮なくお電話いただければと思います。

台本は映像の設計図、作文や論文とは違います

また、編集のみのご相談と同じく、とても最近増えているのが「台本はこちらで書きますので、それを撮影して編集してください」というご相談です。

台本を書くということは、編集を前提としていなければ不可能ですから、編集を理解していなければ書けません。上記の説明で、これはある程度ご想像いただけるのではないでしょうか。
ではなぜ構成作家/放送作家という、台本を書くことを仕事にしている独立した職業が成り立つのでしょうか?これも答えは簡単です。編集や音付けまで把握している監督が手直しをしているからです。
構成作家が書いた台本をそのまま基にすることはまずありません。実際にその台本を修正するかどうかはともかく、監督のアタマの中では「ここはこうしよう」というプランがしっかりあるはずです。台本がそのまま編集やMA(音作り工程)まで設計図として機能するのですから、これがしっかり現実的な設計図として機能するものでなければ映像作品は破綻します。

私はよく皆さんにご説明するのですが、「台本は作文ではありませんし論文でもありません」ということです。台本段階で文章として成立している必要などないのです。というより、良くできた台本というものは文章として読んだだけでは意味不明なことが多いです。なぜか?理由はこれも簡単、台本段階で書かれている文章はナレーションであり、ト書きですから、これに実際に撮影した画を当てはめてはじめて作品として意味を成すものだからです。つまり台本は読んで分かる必要はないのです。映像として組み上がった時に画や効果音、そしてインタビューなどの素材が組み上がった段階で意味を持てば良いからです。
逆に言えば、撮影段階でどの程度の素材が撮影できるか?何ができて何ができないか?そして編集でどうつなぐとわかりやすく伝わりやすくなるのか?こうしたポイントを完全に理解していない人に台本を書くことはできません。

上記のことから、日本語を書けることと、台本を書けることは違うということがおわかりいただけたと思います。ですから、お客様から「台本はこちらで書きますので、それを撮影して編集してください」というご依頼をいただいた時ほど説明に困ることはありません。もし台本をいただいても、まず100%それは台本としての体を成していませんから、それをまず台本に直さないとなりません。そうした修正作業はこちらで行います。また、勉強のために自分で書いてみたいという方がいたら、赤で修正を加えた上で対面やzoomで、どうしてそう修正せねばならないのか?その理由をご説明しますので、上司の方と一緒に聞いてほしいと思います。必ずご納得いただけるものと思います。

映像制作者の免許皆伝とは

映像のプロというのは免許はありません。最近ではちょっとYouTubeでアクセスがあるからと、簡単に「映像ディレクター」の名刺を持って仕事を営業するような人も多いです。しかし、一人前の本物の制作者は大抵の場合はテレビ業界や映画業界、CM業界など大きな舞台で数十年の実績を持っています。「カメラが回せます」「編集ソフトが使えます」「作文が得意です」「YouTubeでアクセスすごいです」という規模ではなく、関係者だけでも数十数百人、予算も数千万という規模であり、動く人とお金が大きい分だけ責任も大きい現場で闘ってきた経験を持っているものです。

例えばディレクター。フォーマルな映像業界ではADを何年も経験して弁当運びから始め、先輩にどやされながら仕事を覚え、やっとのことで手にする肩書です。自分の場合ははじめて「お前今日からディレクターな」と名刺をもらった時は、泣きましたね。何年ADやったかな。
カメラマンもアシスタントからスタートして、少しずつ任される部分が増えていき、最終的に一本立ちするまで5年はかかります。しかしそこからが本当の修行。ディレクターの信頼を勝ち得て指名が入るようになるまでさらに5年はかかるでしょう。10%の才能と90%の努力が無ければ指名も入らずシフトで現場を回るところでキャリアは終わりますので、とてもフリーランスで活躍するところまでいかないでしょう。
編集マンも同じで、陽のあたらない暗い編集室でアシスタント業務を何年もこなし、そして編集卓の真ん中に座れるようになるまで5年の世界です。しかも真ん中に座ったとしても暗い編集室での仕事に変わりはありませんので、好きじゃなければ続きません。そして映像の最終的な仕上げを担当する立場だけに責任も重く、不要なコマが残っているコマ残りなどやってしまおうものなら責任問題です。作品の最終的なチェック要員という要素もあるため、いつも極度の緊張感の中で仕事をしているのです。
CGクリエイターならピンで仕上げまで担当するまで数年はかかります。10年かかってやっと一人前でしょう。しかもゼロから画を作る仕事ですので、広い分野に対する基礎知識を持っていないことには何をどう見せたらわかりやすく表現できるのかすら分からないでしょう。つまり日々の仕事の中での勉強こそがCGクリエイターにとっては一番大切。「センス」などという浮ついた言葉とは無縁です。

繰り返しますが、映像のプロという立場を保証する免許など存在しません。しかしプロというものは現実に存在し、私のような映像ディレクターは、彼ら無しでは仕事をすることができないのです。そしてお互いが信頼できる関係を構築し、チームとしてひとつの仕事のゴールに向かって闘うのです。

もしお客様が「自分で台本を書きたい」「自分で撮影をしたい」と思うなら、ぜひご相談ください。しかし失礼ながらお客様は映像制作については素人ですから、仮免許で公道を走っているようなものです。私たちが助手席に座って緊急ブレーキを構えなければ作品として事故を起こします。上記でご説明したようなプロの事情というものだけは意識の片隅に置いた上でご相談いただきたいのです。私たちももちろん皆様のお役に立てるように、うまくアドバイスをしつつ、お客様にとっても有益かつ思った通りの結果になるように努めます。アドバイスはいたしますので、ぜひ、そのアドバイスを聞いてください。なるべくわかりやすく説明するように努めますので。

こういう時代ですから、映像に関わりの無い会社さんでも、自分たちでできるところまで撮影などを行いたいという意図はよくわかります。ですので、私たちも可能な限り対応するように努力はいたします。しかしアドバイスはぜひ聞いてくださるよう、重ねてお願いを申し上げます。

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