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地べた感の重要性

マーケティングにおいて「感動」という言葉が使われるようになって久しいですが、学術的に感動という現象を分析しきれていない段階で、それを広告宣伝の道具にするというのは一見して不可能にも感じます。とはいえ、映像制作という狭い範囲なら、私個人の意見として実用的な考察は可能だと思います。
そこで前回は「感動」という現象を「五感への訴求」「情報性の追求」そして「つながり/地べた感」という三つに分類してみました。
この中で特に私が重要視しているのが「つながり/地べた感」であることは前回ご説明した通りです。

共感できるかどうか

画面に映る人に「接点」を感じて「共感」できるかどうか?共感ができると画面のワクが消える錯覚が起きる

「つながり/地べた感」というのは、視聴者と番組の「接点」となる概念です。つまり番組の中の登場人物や出来事に対して視聴者が親近感を感じられるように映像を演出するという考え方です。言い換えるなら、この「接点」という言葉は「共感」と限りなく近い概念です。
一言で言いかえるのは難しいのですが、共感というのは、同じ立ち位置に立って物事を見て感覚を共有するという言葉です。つまり立ち位置(視点)を共有しない限り共通の体験もありませんから、感動という現象の元となる「共感」も生まれません。

立ち位置が違うと共感できない

立ち位置(視点)が違うと共通した体験が無いため「共感」が生まれない

それぞれの登場人物やモノを、どのような立ち位置に置いて(視点をどこに置いて)映像を構成するか?視聴者心理にどのような疑似体験を与えるのか?こうしたオーディエンス・エクスペリメンス・デザイン(視聴者を主体とした映像を通しての疑似体験を構成要素に組み込む事)は、映像作品の撮影に入る前に、じっくりと演出家と構成作家が情報交換をしつつ、綿密に構造的な働きを組み立てる作業として行う必要があります。

とはいえ、企画や構成台本の中で、こうした感動要素をうまく計算しつくしたとしても、それでも映像作品が「感動」というものを再現性をもって成立させることができるかというと、疑問が残ります。
私たちはプロですから、再現性が無いことは「できる」とは言いません。いつ、どのような条件下であってもそれを方程式として分解した要素として理解し、再現性をもって実現できなければ、できるとは言えないのです。
この「感動を実現するためのポイント」となるのが、視聴者を前のめりに「共感」させることです。

前のめり姿勢の重要性

私は実制作現場において、視聴者に「前のめり姿勢」になってもらう努力を常に考えています。前のめり姿勢というのは、つまるところ視聴者と画面(動画)との距離感です。
昔はよく「画面を近くで見ると目が悪くなるよ」と親に叱られたものですが、しかしブラウン管にかぶりついていたのは、自分が番組に引き込まれていたからです。この時、多分ですが画面(ブラウン管)のワクは意識から消えていたのではと思います。それは制作者からしたら一番の誉め言葉であり、名誉なことだと思います。なぜならそこには映像作品への共感が存在するからです。

画面の世界に引き込まれた状態

作品世界に集中して引き込まれ、画面のワクを意識しない状態になることがある

では、こうした前のめり姿勢を作るための方法の一例をご紹介しましょう。

特にインタビューやドキュメンタリーなど、現場で突発事項が発生することが前提のコンテンツを制作する時は、これからご紹介するようなテクニックが作品の品質を決定してしまうので、ディレクターとしても腕の見せ所です。

撮影に限った話で言えばポイントはたった一つ、

・自分の興味に忠実な映像を撮る

ということだけです。
同業者の方なら「えー、そんな単純なものじゃないでしょ」と言う人もいると思いますが、いえいえ、逆に、単純にしないとならないのです。ちゃんと単純にしましょうよ。
仕事というものはキモを決めて動くことが大変重要です。余計なことをディレクターが考えなければならないということは、周囲の協力体制を含め制作環境に問題がある証拠なのです。

本当に予算があって、スタッフも有能で、理想的な現場を作れるなら、本来はディレクターの現場での仕事というものは、この程度の守備範囲に収まるはずなのです。

では、本題に入ります。

感動を撮影する方法

さて、撮影の話をしましょう。ドラマ形式など作り物の話はあとに回すとして、まずは話をシンプルにするために一般的なハンディのカメラを使ったドキュメンタリー取材形式の撮影を事例にして話を進めます。この場合、リポーターが不在ですから、現場にはディレクターとカメラマンしかいないと仮定します。リポーターを前提にすると、話がややこしくなるので、シンプルな構図で説明するためです。

ディレクターの立ち位置から撮影する

まず、先に述べた「自分の興味に忠実な映像を撮る」という言葉の真意を説明しましょう。これは「ディレクター自身の目線で撮影を行う」ということです。
視聴者というのは「誰かの目線に立ち追体験をする」ということでしか、映像に感情移入はしません。つまり「視聴者は共感する対象を求めている」ということです。カメラは客観的な立ち位置に立つのではなく、誰かの立場を代弁する立ち位置に立ったほうが、どんな目線でこの映像を観たらよいか?という視聴者の立ち位置をつかみやすくなるのです。
「立ち位置を明確に!」これは大きなポイントなので、映像演出の基本として意識する必要があります。そして、それをシンプルかつ一番効率よく実現する方法が、「ディレクター自身の立ち位置から物事を見る」という方法なのです。少なくとも私はこの方法を徹底しているつもりです。

自身の感動体験を撮影する

作品の「立ち位置」の「主体」がディレクターだとすると、そのディレクターの心に残る出来事とは、いったいどのような出来事でしょう?それは決して台本には無かった現場でのディレクターの「驚き」や「気づき」といった「感覚が揺さぶられる瞬間」、つまり「感動の瞬間」ではないでしょうか?その驚きや気づきといった感動をそのまま素直にカメラに収めるのが、印象的な映像を生み出す一番簡単かつ、これ以上は無いと断言できる方法です。
ところがこの「印象的な出来事」というのは事前に発生することが予測できるものでしょうか?朝起きた時に「あー、今日は12時30分くらいに印象的な出来事が起きる予定だから、楽しみだなあ」なんて言ってる人います?人生とはそんなに予定調和なものでしょうか?
つまり印象的な出来事というのは突発的に発生するもので予測できないのです。そして逆説的に言えば、突発だからこそ衝撃的であり印象的だとも言えるのです。

予測不能な出来事を撮影する

プロの映像カメラマンがスゴイのは、こうした突発的に発生する印象深い出来事を機敏かつ即座に反応しながらカメラに収めていくことなのです。
私は本業がディレクターですからカメラは多少回しはしますが、大切なロケでは絶対にいつも組んで信頼しているカメラマンに来てもらいます。あんな神業のような撮影、絶対に自分ではできません。不可能です。

撮影現場というのは生き物です。特に人間を撮影しようとするなら、相手は生身です。どう動くか予想ができません。いや、むしろ予想などできないくらい現場は滅茶苦茶なほうが映像は面白くなる。
例えばある病院の看護師募集動画の撮影現場。病院を宣伝するのが狙いですが、病院というものは白壁ばかりで撮影しても画的に面白いものではありません。そこで目線を少し変えて、その病院の新人看護師の24時間に密着しました。しかもそんなロケを15日間も続けたのです。
その撮影の中で印象深いシーンがありました。そのシーンとは、何も急患が救急車で運ばれてきた瞬間だとか、そんなドラマチックなものではありません。実に些細なことでした。
新人の看護師さんは介助しているおじいさんの手をたまたま「ポンポン」と叩いていたのですが、それが何とも良い仕草で、看護師と患者さんの「つながり」を象徴しているような、そんな雰囲気だったのです。
そのしぐさの前、カメラマンのレンズは看護師と患者さんのツーショットのサイズになっていました。(横にいるとどこをどこサイズで撮影しているかはわかります)
ところがその「ポンポン」の瞬間には、そのカメラマン、何かのきっかけや気配のようなものを感じ取ったのでしょう、レンズのズームリングを回してスッとその手に寄ったのです。それで決定的瞬間が撮影できたわけです。
この瞬間、私は「あー、この作品、勝負あったな」と確信しましたね。

つまり、私が「印象的」と感じた出来事と、カメラマンが「これは印象的だろう」と思っている出来事が一致しているわけです。ただカメラを回すだけではなく、ちゃんとディレクターの私の視点に立って同じ方向を向いている。

カメラマンの重要性

こういう水準の仕事ができるカメラマンというのは残念ながら本当に限られているのです。私はカメラマンにはうるさくて、気に入って一緒に動いているのはたった二人だけです。彼らがフリーランスだから気軽に呼べるというのもあるのですが、なにより腕がいい。というより動物的なカンが鋭い上に、本当に努力家です。

例えば、あるカメラマンは、たまたまベストアングルが屋根のない場所で、カメラは屋根の下に入るのですが、カメラマン自身がどうしても屋根の下に収まらない。そこに雨が降ってきたもので、できる限りの養生はしたのですが、それでも寒いことこの上ない環境です。しかし彼はその中で5時間、カメラを回し続けました。
また、あるカメラマンも、福岡での座談会の撮影で、三脚を使わないハンディの撮影をしたのですが、どうしても現場の話の流れをディレクターの私が読み切れなくて、編集でどこを残すか?という本質が見えないまま、彼は4時間カメラを担いだまま全部を回しきりました。
使うのはたったの10秒という場合もありますが、その10秒の画のために、プロのカメラマンは精神力でカメラを回しきるのです。

決定的瞬間を撮るというのは、実はこうした類まれなプロの努力がその裏に存在するのです。こうしたカメラマンは私たちディレクターにとっては本当に財産だと思います。

良いカメラマンなしに良い映像作品は生まれません。だから私は可能な限り自分の気に入ったカメラマンしか使わず、自分の好みや興味を常にカメラマンに伝え、意識してもらえるようにしています。彼らとはもう20年の付き合いになりますので、もちろん彼らも私の好みはよく理解してくれており、何を求めているのかも感覚的に肌で理解しているわけです。だからどんな現場でも、とっさに優先順位を決めて撮影をしてくれる。

私のような凡庸なディレクターが「印象深い心に残る映像」を撮影するためには、これしか方法が無かったのです。私は理攻めのディレクターですし、感性で勝負しているディレクターではありません。そういった意味では、私には才能というものがありません。でも彼らカメラマンに対して、何が欲しいか?そこだけは常にコミュニケーションをとってリクエストしています。だからこそ、私が多少鈍くても、機敏にカメラマンが反応してくれるのです。

感動を撮影できるのは鬼気迫るプロのみ

ディレクターの私自身が印象深いと感じた出来事のカットが撮影できれば、それを観た視聴者も私たち現場のスタッフと同じように印象深く感じてくれます。私たちが感心した出来事がカメラに収まっていれば、視聴者も同じように、私たちスタッフの感動を追体験してくれるのです。
撮影という仕事は、共感を生み出す作業です。被写体に感動したスタッフがいて、そのスタッフの感動を視聴者は映像を通じて追体験する。こうした良好な連鎖が起きるように常に私たちスタッフは真剣に撮影対象に向かい合わなければなりません。真剣に現場に向かい合っていれば、何かに関心や興味を持つはずです。その関心事を素直に撮影するのです。単純なようですが、これが「感動を撮影する」という言葉の本当の意味です。そしてその裏には「クリエイティビティ」などいう耳障りの良い言葉とはまるで別次元の、鬼気迫るプロフェッショナルの姿があるのです。

感動は予定調和からは生まれない

さて、このようなドキュメンタリーの場合、撮影現場における作品の主体、つまり「私」はディレクターでありカメラマンです。しかしその「私」の感動を視聴者が追体験することによって、「私」と「視聴者」が一体化し、追体験をすることができる。撮影がうまくいったというのは、こうした連鎖が実現できた時を言うのです。

以上のことから、台本を追いかけるだけの予定調和の中では、本物の「感動」は生まれないとも言えます。

大枠は台本に沿って撮影を進めることは当たり前ですが、しかし、大枠で良いと思います。あとは臨機応変が理想的。なぜなら撮影対象は生ものです、予定調和では動きませんし、予定など無視して結構なのです。だからこそ作品主体である「私」は驚き、感銘し、共感することができる。そしてその「私」の感動を視聴者が追体験することができるのです。

ドラマも同じ構図

では、台本や脚本が既に決まっているドラマの場合はどうなのでしょう?ドラマ仕立てにする場合も、すべてとは言いませんが、実は同じ方程式が成り立ちます。

ドラマは対立を意味する言葉

ドラマと言う言葉の中には「対立」という意味が含まれています。つまりAという価値観とBという価値観があり、その対立がドラマの本質です。
これは例えばの話ですが、「Aという人がBという人と接する中で、Bの考え方に感化されていく」というストーリーがあるとしましょう。この場合、Aは一般論で生きる人、しかしBはそれに反する考え方の人です。Aの目線は一般論ですから多くの人に共感を得ることでしょう。ですから主人公、つまり作品の中における「私」はAにしたほうが効率的です。なぜならAという人の目線に立つほうが視聴者としては楽に感情移入することができるからです。

感情移入の大切さ

感情移入というのはまさに対象と心が同調している様子です。つまりAという主人公の姿に視聴者が感情移入することができれば、テレビ画面と視聴者の距離はゼロになり、画面のワクは視聴者の意識から消え失せ、前のめりの姿勢を作れるとも言えます。
視聴者が主人公Aと一体になり、Bの行動や言動と触れるうちに、Aはどんどん心変わりをしていく。その心の動きの過程を視聴者にも追体験させるわけです。
この「心の動き」こそ、感情が動かされる過程でもあるので、感動の要素として大変重要な意味合いを持つのです。

登場人物の心の動きの追体験が感動の正体

また、ドキュメンタリーなどのような「驚き」「感銘」などもドラマにとって同じくらい重要です。
主人公Aに対してどのような説得力を持ってBの主張が展開されるか?ここがキモです。予定調和などもってのほか。視聴者はAに感情移入している状態ですから、そのAに対してどれだけ説得力のある立場の表明ができるかがポイントです。納得感と説得力があれば、当然Aに感情移入している視聴者もまた納得し、説得されることでしょう。
このAという主人公の心の動きの追体験や、心の動きの共有こそ、ドラマにおける感動の正体と言っても過言ではありません。

共感の重要性

主体に共感(感情移入)することではじめて主体の心の動きを共有することができる

マーケティングと感動

以上、前回を含め、二回にわけて感動をどう動画に具体的に落とし込み、マーケティングに活用するか?というテーマでお話をいたしました。

商品の多様化が可能になると、個々の商品のターゲット層は狭まり、より具体的になります。大量生産したものを不特定多数の人に売る場合は、何せその対象を絞り切れませんでしたから、宣伝をする際も、どこかあやふやな売り方になってしまうものです。しかし「この商品はこういう人をターゲット層にしています」というのが明確なら、そのターゲット層の「心に刺さる広報戦略」を打つ方が効果的ですし効率も良いはずです。そこでぜひ生かしていただきたいのが、ここで触れた共感をベースとした「感動」を生み出すテクニックです。

私は長年、映像業界でディレクターという仕事をしてきましたが、いわゆる「感動」をどう構築し、再現性をもって実現するか?という研究についてはまだまだ道半ばです。とはいえ、これからも学びを続けながら現場を踏み、より理想に近い作品制作を目指していく所存です。

ここにご紹介したのは私がこれまで組み立ててきた映像演出技術の一部ですが、皆さまのマーケティング動画の制作に役立てばと思います。

 

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