宇都宮石材軌道No.2蒸気機関車(関東鉄道5号蒸気機関車)
歴史CGでもあり、工業CGでもある関東鉄道5号蒸気機関車のCG作例をご紹介しましょう。
大谷と言えば石切り場から切り出される大谷石ですが、その大谷石の輸送を担っていたのが、こちらの日本車両製造/宇都宮石材軌道株式会社No.2機関車です。
大谷石の運搬は初期は馬車に頼っていたのですが、それでは効率が悪いということと、そもそも鯉料理の名店が多かった大谷を観光開発しようとする宇都宮市の有力者たちの目論見もあり、まずは人が押す鉄道=人車(人車軌道)による運搬をはじめました。明治29年(1896年)3月19日、宇都宮軌道運輸株式会社が発足し、荒針~西原の間で、大谷石を載せるための貨車と、人を乗せるための客車の両方を運行していました。(のちに材木町まで延長)
明治39年(1906年)2月、宇都宮軌道運輸株式会社は、仁良塚~戸祭の間で運行していた野州人車鉄道を買収して新路線とし、それを機に社名を宇都宮石材軌道株式会社と改めました。
とはいえ人車軌道による人力での運搬には量的限界があり、蒸気機関車による運搬へと切り替わることとなりました。大正4年(1915年)7月、規格としては軽便鉄道でしたが、線路幅は鉄道院のものと同一という仕様で開通、そのまま鉄道院の線路に乗り入れができたため、大谷から全国各地への駅に直結されることとなり、大谷石が日本全国規模で利用される時代を迎えます。
当社がモデリングしたCG動画の鉄道は、大正10年(1921年)6月、宇都宮石材軌道株式会社が日本車輌製造株式会社から購入した蒸気機関車です。C1軸配置のSLで、日本車輌製造の製造では現存最古のものです。
宇都宮石材軌道は1931年には東武鉄道に吸収され東武・大谷線となり、 こちらの機関車は1939年に鹿島参宮鉄道へ譲渡され、竜ヶ崎線へ配属されました。この時に当機関車は「5号」と名付けられたとのこと。その後1965年に鹿島参宮鉄道と常総筑波鉄道が合併して関東鉄道となり、この機関車も「関東鉄道5号蒸気機関車」と呼ばれるようになりました。
この機関車は現在、東武宇都宮線おもちゃのまち駅前に保存展示されています。
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