2026/8/6公開 2026/8/10加筆
動画制作者の過剰演出が国益を棄損する
『令和8年熊本県下被災地視察 高市総理 #shorts』という官邸のショート動画が悪い意味で話題となっています。これは官邸や高市総理の行動や言動はともかく、この動画を作った映像制作者の失態です。同業者として、熊本の皆様に申し訳なく思います。最近は映像という表現ツールの便利さばかりが強調されますが、本来、映像というツールの怖さも知らなければプロとして免許皆伝とは言えません。

内閣府広報の当該動画から抜粋。映像制作者の勘違いが見て取れる。
当該動画は、高市総理が地震で被害を受けた熊本を視察する様子と記者会見の様子を交えた動画なのですが、ピアノのBGMが流れる、いわゆるプロモーション風の演出がされており、これを見た視聴者が違和感を感じ、以下のようにSNSで発信したようです。
「被災者を自己PRに使うな」
「安っぽいドラマの感動シーンのような政権PR」
「どこまでナルシストだとこうなんだよ(原文ママ)」
芥川賞作家の平野啓一郎氏もXで「何でもかんでも首相のプロモーションビデオの素材にしていい訳ないだろう、アホか」と綴っているようです。(以上『女性自身』8/5から。※ただし平野氏は8/10のJ-castニュースによると長崎の被爆者団体と会談している高市氏の態度にも「こんな態度、あるのか? どうかしてる」と猛批判したらしいので、高市総理のことをよほど個人的にお嫌いなのだろうと判断しました。)
この流れに一部の識者や朝日新聞、東京新聞、東京スポーツなどメディアも呼応し、ちょっとした騒動になっている様子。
動画制作者の責任
熊本は今、本当に大変なことになっているのに、被災した方々にとって何も得ることが無い、こんな話題で騒動になってしまっている。さすがに熊本の被災者の方々からしたら迷惑な話だと思います。
さらに高市総理は被災地の現状を客観的に知るために視察しているわけであって、会見のコメントを含めて何か特別な過失があったわけではない。むしろ「やれることは全てやる」と言い切って予算を付けています。これ自体は責められるような内容ではないはずです。ところが動画を作ったクリエイターがやらかしたおかげで、総理を攻める題材を与えてしまっている。
つまり、このくだらない騒動は、このプロモーション風の動画を作ってしまった動画のクリエイターの「やらかし」です。私もこの動画を初めて見た時、唖然としました。開いた口が塞がらないとはこのことです。
こうした間違いが二度と起きないように、以下に少しだけ私が感じた見解と気を付けるべき点に触れたいと思います。
動画の制作目的とは?
では、基本に立ち返って、この動画が本来果たすべき意義について考察します。
まずこの動画は何を目的に制作されたものなのか?木原官房長官の言葉を借りれば…
「被害の状況を視察した際の様子を国民に分かりやすく伝えるための手法の1つだ」という事です。さらに「高市総理大臣の熊本県庁での記者会見と実際に視察した様子の動画を用いたものであり、視察の状況をコンパクトにまとめた動画の投稿は、これまでも行ってきている」(NHK『首相視察でBGM付き動画“分かりやすく伝える手法” 官房長官か』)
という事でした。
この木原官房長官の見解を紐解くと、被災者ならびに被災者と縁がある方々に向けて「政府が対応をしている」という事実を伝えるためのものであったはずです。政府が対応を行っているという事実を知れば被災地の方々も安心するでしょうし、無用なパニックを抑止することにつながります。
さらに、災害対策のために予算がどの程度ついて、首相が記者会見でどのような具体策を発表したのか?これらの情報があることで被災地の方々が今後の経緯について予測する材料を得ることにつながります。
要するに高市総理の動向を踏まえつつも、政府がどのような対策を講じるのか?こうした客観情報を、この動画は本来であれば伝えるべきです。
では本当に上記の目的に見合った構成になっているでしょうか?以下に実際の動画を分析してみたいと思います。
動画の構成を分析
結論を述べる前に、世の映像関係者はどうこの動画を評価しているのか?その実例として元テレ朝の鎮目博道さんによる評価が女性自身に載っていたので転記します。
「全体的には『腕のあるプロによる、きっちりした、よくできた映像作品』という印象を受けました。なかでも、SNSでは批判が多かったBGMですが、動画ではピアノの曲が使われています。今回のようなテーマの動画では、あおりすぎず、それでいて静かに心を揺さぶる静かめのピアノ曲がいいことは、映像関係者の間では常識です。しかもこの動画では、しんみりしたトーンのいい曲を使っていて、観る人の琴線に触れます」(『女性自身』)
確かに鎮目さんらしい誰にも嫌われない無難な意見です。一応、私は彼がアークヒルズの報道スタジオの上階のスタッフルームにいた時、同じフロア(ニュースステーションとお隣のスペース)にいて働いていましたし良い方なのも知っていますが、申し訳ないのですが、今回のこの動画への評価には意義を唱えます。
グレーな要素を消し去るべき
鎮目さんには申し訳ないけど、ピアノが適切なBGMかどうかはこの際関係なく、そもそも論として「BGMが必要か?」という議論が必要ですよね。ピアノのBGMがエモーショナルなトーンを動画に与えて総理の被災地視察報告動画という意味合いでは不適切な効果を生んでしまっていますので、映像演出家の一人として「不適切」と言わざるを得ません。
鎮目さん曰く「しんみり」なら良くて、ならば逆に「ラップ調」ならダメなのか?それとも少しなら良いのか?など、いわゆるグレーな判断が可能な余地を残してはダメでしょう。災害時の情報発信はそういうものです。
小手先だけの魂の無い動画
以下にご紹介しますが、私の分析結果は「小手先だけ達者な魂の無いクリエイターがまたやらかしましたね」という印象です。もしかしたら、この動画を作ったのは、そこそこ小手先の編集技術はお得意なのでしょうが、所詮それだけなので、「やって良いことと悪いことの区別」がついていないのです。つまり「サジ加減が悪い」のです。
もちろん官邸の動画を作っているスタッフですから、そこそこの経歴の映像作家かもしれませんし、一説によると、昔話題となった安倍さんが部屋でコーヒーを飲んで寛いでいる「お家で」の動画を作ったクリエイターという噂もあるので経歴はまずまずの人が作ったのでしょう。
とはいえ尖がった企画で動画作るだけなら誰でもできる。しかしサジ加減というものを真面目に考えていないんですよね。大切な何かを考えてこなかったのだと思います。考える能力が欠けている。だから「それは違うだろ」って違和感だらけの映像を作り出す。本当にサジ加減が悪すぎる。ちゃんと考えていたら、こうはならない。
以下、動画をタイムラインに分解してご説明します。(静止画像は当該政府広報動画より抜粋)
スタート~00:04「ヘリ搭乗」

このカットの働きは主に「視察している」という印象を強調することでしょうね。ヘリからの視察は大切ですが、ヘリに乗りこむという行為そのものが何か意味を持つわけではないので、これはあくまでイメージショットであると思います。本来なら人が亡くなっている大規模災害なので、過度な演出を避ける意味でも1カットだけ「ヘリに乗った」という記号論のみを伝えて、あとは機内からの様子で良いはずですが、あえて3カットの畳みかけを行っています。これは過剰でしょう。
加えてここはBGMが無く、あえて現場音であるヘリのエンジン音のみを使っています。パワフルなガスタービンの音と3カットの畳みかけ。さすがに過剰です。
00:04~00:15「被災地市民との面談」

人は「変化に反応する生き物だ」というのは映像演出の世界では当たり前の常識です。特に音の変化というのは視聴者の注意を引きやすい。前カットのエンジン音からピアノの音にBGが変化すれば、そこに人は反応する。つまり、画面にフッと注意が集中する。そこに「消防団の動きが早かった」「災害にあった人の支援を」というポジティブな印象のコメント。これは当動画の主人公でもある総理や政府に、ポジティブな印象をオーバーラップする狙いがあると言われても仕方ありません。これも過剰演出ですから真っ当な視聴者には違和感しか与えないでしょう。
00:15~00:32「ヘリからの現地視察」
ヘリ搭乗中の高市総理の上空からの視察風景。ここに「亡くなられた方々に哀悼の誠を捧げます」「ご遺族の皆様にお悔やみ」「被災された全ての方々に心からのお見舞い申し上げる」という高市総理のコメント。このコメントはナレーションではなく、多分ですが視察後の記者会見でのコメントを使っているものと思います。

↑高市総理の視察は適切なものであるがBGMや編集などが不適切で映像クリエイターが「違和感」を生み出してしまっている
00:32~00:36「ヘリを降りる総理」

カメラ目線(国民)より総理の目線が高い位置にある
ヘリを降りる高市総理。2カット目は意識してか偶然か、カメラアングルを下げる動きをして、結果として「煽り構図」を作り出しています。この構図は私が「ウルトラマン」と呼んでいるもので、被写体の人物が大きく見えるので「超人だ」という記号論を持っています。威厳を表現する際などに使う構図です。
これ、偶然だと良いのですが、私なら被災地の視察なら避ける構図です。つまり多くの国民に対して「目線を合わせる」という事ですね。目線を高くしてしまうと批判の対象になりかねません。
00:36~00:40「氷川中学校」

カットチェンジが早く、知りたい情報が得られない
氷川小学校外観。そして氷川中学校に設置されたと思われるブルーシートを使った仮設シャワー。総理の会見コメント「プッシュ型の物資支援を行う」。
画用紙と思われる紙に「氷川の湯」と書かれた男女の利用時間を記した時間割が写る。この時間割は2秒未満のため読めない(正確には1秒13フレーム)が、朝は10時から、夜は21時45分まで使える模様。
総理会見コメント「都道府県が行う救助業務への支援」。
00:40~00:51「被災地市民との面談」

総理会見コメント「応急復旧を含めた災害復旧についてより迅速に、かつ一層強化するため」
00:51~00:56「学校関係者?との面談」
校長室でしょうか?どこか応接室のようなところで学校側の職員か、もしくは町会の方々と面談しているような様子。
総理会見コメント「明日(8月4日)、200億円を超える規模の予備費の使用を閣議決定し…」
00:56~01:02「支援物資」

支援物資にすべてのカットで総理を絡めている
用意された支援物資の山を手前に、その向こう側を歩く高市総理の姿。氷川中学校でしょうか?支援物資の向こう側を歩く、つまり手前に何かを置いて奥の人物とからめる構図を「ナメショット」と呼びますが、これは「支援物資ナメの高市総理」という事です。支援物資というポジティブ要素と高市総理をからめるという意味があります。そこに…
総理会見コメント「必要な予算を確保してまいります」。…というコメントが入るので、高市総理が色々と用意してくれるのだろうという印象を生みます。ただ、これも客観情報として普通に支援物資単体の画をインサートすれば済む話ですし、何も高市総理とからめなくても良いだろうという違和感を感じます。
01:02~01:11「氷川小学校を去る」
氷川小学校を去る高市総理。マイクロバスに乗る様子。マイクロバスに乗り込もうとするその瞬間、高市総理を追いかけてきて声をかけた学校職員と握手。これ、偶然やったのかどうか。もし本当に総理に走って近寄れるなら、警備はどうなってるのか?という事になります。
総理会見コメント「あわせて激甚災害の指定につきましても、現時点で公共土木施設や農地などの災害復旧事業について…」
01:11~01:14「災害の様子」
めくれ上がったアスファルト、曲がったガードレール、倒れた電柱など被害の様子を2カット。
総理会見コメント「本激として指定する見込みでございます。」
01:14~01:21「熊本県との会議」
熊本県との会議の様子。内容は不明。
総理会見コメント「自治体の災害復旧事業について全力で支援をしてまいります」。
01:21~01:24「災害派遣車両」
災害派遣と書かれたオフロード車と赤十字の緊急車両のインサート。
総理会見コメント「1日でも早く安心して元の生活を取り戻していただけますように…」

単なるイメージショットになってしまっている緊急車両の画
01:24~01:38「記者会見」
再び熊本県庁。記者会見の様子。
総理会見コメント「やれることはすべてやるという決意のもと、政府一丸となって現下の震災対応、そして被災された方々の生活と生業の再建支援に全力で取り組んでまいります。」
01:38~01:43「氷川小学校」
再び氷川小学校に戻り避難されている方々に「お身体だけは大切に」と声かけしている高市総理。
01:43~01:48「被災地市民との面談」
再び被災者との面談。被災者の女性が「全部が全部ありがたかったです」と発言する。
01:48~01:53「官邸ロゴ」
首相官邸ロゴ(エンドロゴ)
構成内容の総括
上記を見てもわかるように、全体として、総理が言っておられる事や、行っている行動については全く問題が無いのです。
ところが、動画の目的がもし「総理がどう視察して対策として何を打ち出したのか?」を広報するためだとしたら、この動画の造りそのものが問題となるのは当然です。
BGMは不要
まずBGMは不要です。どのような種類のものであったとしても不要です。例えば動画が始まる事を知らせるジングルや、優先順位の高い情報を扱う際に注意を促すSEなどであれば、もしかしたら必要かもしれませんが、基本的にBGMはナレーションやコメントといった言語情報を阻害する要素となる危険があり、災害時の広報であるなら邪魔になる可能性が高いです。
こと今回の動画の場合、BGMの音量が大きく、被災地視察のシーンにボイスオーバーされている高市総理の会見コメントが聞き取り辛くなってしまっています。
上の図を御覧ください。これは編集ソフトのプロジェクトタイムラインに動画を乗せて再生した際の音量メーター(画像右側の緑や赤のバー部分)の画像です。総理のコメントがピアノのBGMと被るとこの通り歪んでいます。つまりBGMがあるがために本来大切な総理のコメントが聞きにくいのです。情報の優先順位を考慮すれば映像演出上、このような音響設計がありえない事は明白です。
また音楽が乗ることで色が付きます。この動画の場合はちょっとエモーショナルな雰囲気のピアノ曲が入っていますから、そういう色が付いてしまいます。本来、災害の情報においては不要な情報や色を付けることは好ましくありません。音楽の印象に動画全体の印象が引きずられます。
時系列の崩壊
今回のこの動画についての一連のメディア報道で、記者やライターが使いたがるのが「モンタージュ」という言葉です。この言葉、簡単に言うと画(カット)の順序を意図的に前後させる等で意味が生じたり、また消えたりするという、いわゆる編集技法の基本のような概念なのですが、報道や記事では、この内閣府の当該動画がモンタージュを積極的に行っているレベルが高い映像で、プロモーション化していて悪質というトーンで報じています。
しかし私に言わせれば、逆ですよ。モンタージュの崩壊というか「時系列性の崩壊」です。視聴者に勘違いを生じさせるレベルの崩壊が起きている動画ですから、モンタージュという概念を意識しているレベルとは到底思えないのです。
全体の編集として、画の主軸は「総理と被災者との対話」で、音の主軸は「総理の会見コメント」です。しかし冒頭部分に「ヘリ搭乗シーン」を入れたり、バラバラに「被災者との対話シーン」を持ってくることで、映像全体として不適切な意味が生じています。
また、総理のコメントが途中からいきなり入りますが、このコメントは動画を最後まで見てはじめてわかるのですが、総理の記者会見でのコメントを使っています。ところがコメントのスタート部分の会見の画が無く、ヘリからの熊本の街の画にボイスオーバーの形で総理コメントが入るものですから、これを総理のナレーションと勘違いしている人が多い。
実際、8月5日の女性自身の記事『芥川賞作家も苦言…』では…
「機内で手を合わせる高市首相の映像に移り変わった。ナレーションで「令和8年熊本地震でお亡くなりになられた方々に哀悼の誠を捧げますとともに、謹んでご遺族の皆様にお悔やみを申し上げます」などと読み上げる高市首相の声が重ねられ、カメラは上空から死者7人という大きな被害を出したイオンモール熊本を映し出した。」
というように、明らかに「ナレーション」と書いています。これは間違いです。あくまで記者会見でのコメントであってナレーションではありません。これも編集が悪いために起きている勘違いです。
また先に述べた通り、ヘリのエンジン音からピアノのBGMに変化する様子に人が反応する現象を利用した演出を施したりと、単に客観情報を伝えるというレベルとは明らかに違う意味付けを行ってしまっている。この意味付けが意図しているものかどうかはともかくとして、客観情報を伝えるだけに止める努力が本来は必要だったのではなかろうかと思います。
さらには当動画の場合はピアノBGMのテンポに合わせてカットをつないだと思われる部分もありますが、こうした過度で余計な編集がかえってシーケンシャル(順次的)な時系列性を崩してしまい、その動画素材の収録場所がどこなのか?理解することが困難という状況が生まれてしまっています。
本来であれば、救援物資が映っていたなら、それがどこの避難所の動画素材であるのかが視聴者に伝わったほうが、被災者の方々から見た場合の情報性は高くなるはずですが、いたずらにカットを短くしてテンポを優先してつなぐという不適切な編集を行っているため、映像全体の意味合いの連鎖を断ち切ってしまっている。もちろん「多分これは氷川中学校なのかな?」とは思うのですが、それまでの編集の場面転換がバラバラすぎて時系列が崩れているため、確信が持てなくなってしまうのです。
同様に、めくれ上がったアスファルトや曲がったガードレールや電柱などは、「多分マイクロバスでの移動の最中かな?」とは思いますが、これも過度なモンタージュが、このカットの登場までの間に続いてきたため、時系列の連続性への疑義が生じており、確信が持てなくなります。
つまり、「余計なモンタージュ」が行われることで付いてはいけない色が付いてしまったのみならず、「時系列性の崩壊」によって適切な情報伝達ができなくなってしまっているのです。
独りよがりな脚色が高市総理に迷惑をかけている
最近、こういう事例が後を絶たない。つまるところ動画クリエイターの質の低下が原因です。何のために「ディレクター(監督)」が存在するのか?演出という仕事をどう心得ているのか?本当に聞いてみたい。
この動画をよく見ると、高市総理は良い事を言っているし、総理として当然のことを言っているにすぎません。何が批判されているのかというと、編集とMA(音響)です。つまり素材である高市総理のご発言や情報そのものは政府として当たり前の事ばかりですが、編集やMAといったポスプロ段階で色が付きすぎて、余計な脚色が加わってしまったという事です。そしてこの脚色が地震災害の被災地をめぐる動画においては不適切であると批判を受けているのです。
問題なのはこの動画の編集者/制作者が批判されるならまだしも、高市総理や官邸が批判されている点です。確かにこの動画にOKを出した官邸にも責任は少しはあるでしょうが、こんな編集に仕上がってくるとは普通は思いません。編集者の独りよがりな自己陶酔を感じる嫌な編集です。
視察当日のうちに公開するべき速報性が重要なこの手の動画で、ここまでよくわからない編集が行われていた場合、私なら公開しません。公開できませんよ。でも、官邸スタッフは映像の素人ですし、この動画の悪い点を具体的に言葉にして表現することもできなかったでしょうし、何をどう指摘したら良いかわからず、仕方ないから公開に踏み切ったというのが実体では?
もし私の想像通りなら、具体的にどう直したらマシになるかなんて、映像の素人さんである官邸スタッフにわかるわけがありませんし、そんな指摘を要するような状況に追い込んだ動画を作った動画クリエイターが悪い。
こうしたミスを防ぐためには?
実はこうした間違いは動画クリエイター、映像制作者が一番注意しなければならないのです。台本を書いて、撮影を行い、編集している最中に、客観的にその作品を観ることができなくなってしまう。これは経験不足な映像制作者にありがちな現象です。
被写体との適切な距離感を保つ
例えばドキュメンタリー作家に多いのですが、被写体に感情移入しすぎて、被写体とディレクターではなく、お友達になってしまうタイプ。こういうタイプにしか撮れない作品もあるのですが、私は反対でして、テレビ番組をディレクションしていた時などは被写体とは必要以上に親しくならず適切に距離を取って客観的に素材を紡ぐ努力をしていました。被写体にサービスしようなどと思うと、無用に「良いカットを撮ってあげたい」など考えてしまうので、良くないですからね。特に政治家を追跡するような場合は適度な距離感(もしくは距離感を感じさせるように演出すること)が大切。
制作目的を見失わない
そして、その動画の視聴者が一体だれで、何を伝えるためのものかを逐一頭の中で反芻することですね。この動画は申し訳ないが、目的を見失っているように見えます。
編集は被写体を守る最後の砦
それと、この動画がこんな風になってしまうことで誰かに迷惑をかけることになると自覚することですね。
私が駆け出しのディレクターだった時、常々上に言われていたのは「被写体がバカに見えるような画はカットしよう」という事でした。これはタレントなどを使う場合もそうで番組の中のカットで炎上するような危険があるカットは編集段階で切っておくという配慮が必要ということです。不用意な発言などは編集段階でチェックして徹底的に切っておくことでタレント生命を脅かさないように配慮するという事です。
つまり映像制作者であるなら、編集というのは最後の砦と自覚するべきなんです。いったん外に出てしまえば消すことは困難です。
視聴者をバカにするな
視聴者は本当に賢いです。例えば世界をけん引する企業の中枢が並ぶ東京のど真ん中で石を投げれば修士や博士に普通に当たる。そのくらい日本人は勉強が好きですし賢い人が多い。私たち映像制作者は、こういったインテリジェンスが高い方々を相手にしているのだという自覚を持つことが必要です。
視聴者に対する敬意を
昔の古いテレビ業界ではよく「アホな視聴者にも伝わるようにしろ」と言われましたが、これは「一人たりとも視聴者を捨てるな」という意味であり、視聴者を小ばかにしろと言っているわけではない。そんなことは誰でもわかるはずですが、視聴者がどう思うか?という配慮に欠けた結果が今のテレビです。そもそも自分がアホのくせに「アホな視聴者」などと視聴者を下に見ているような表現は良くない。映像制作者は視聴者にもっと敬意を示すべきです。
映像は諸刃の剣
今回のこの動画だって、視聴者がどう思うか?ここに配慮が足りていません。映像の演出技法など知らなくても映像に違和感くらい誰でも感じます。映像は誰にでも伝わる「非言語表現ツール」ですが、同時に「誰をも傷つける危険性を持つ諸刃の剣」です。この危険性を知らずに映像制作者として免許皆伝になる事はありません。以前もブログで申し上げましたが、国家資格はありませんが、私たち映像制作者にも「免許皆伝」は存在しますし求められる「資質」は明白です。
以上、当該動画についての考察でした。



