映像制作の現場からタイトル
2025/06/23公開

玉音放送の尊さと潔さ

都議選が終わりました。自民党が第一党ではなくなるなど、大きな変化がありそうですね。
またテレビや新聞よりもネットの情報が大きく選挙結果に影響を与えたという論評もあり、こちらも映像というメディアの専門家としては注視すべきだろうと思いますし、根拠を集めてみたいなと考えています。
とはいえ今日は、そうしたメディア論の話ではなく、選挙の負け方の話です。なぜ負け方という話になるかというと、これはあくまで私の個人的見解なのですが、今の日本の再出発地点は大東亜戦争の敗北でしたし、あの時に昭和天皇が玉音放送という尊い声明によって敗戦と降伏を宣言し、全国民に対して肉声で直接再起を促したことが、戦後復興への精神的支柱として働いていたのではないかと考えているからです。

大本営発表の記憶

上記の玉音放送の潔さは、国民を欺き続けた大本営発表とは正反対です。
大本営というのは陸海軍を束ねる組織で大日本帝国軍の運用についての最高決定機関です。連合軍はこれを「Imperial General Headquarters」と呼びましたが、Imperialと付くのは、大日本帝国憲法において天皇が持っていた「軍を指揮する権利」である「統帥権」を根拠に設置され、天皇も臨席する直属の機関だったからです。

なお、この組織は軍人のみで構成されていました。つまり政府の文官はいなかったのです。完全に政府とは切り離した組織ですので、政府の一員でもある陸軍大臣や海軍大臣は大本営会議に参加することはできましたが、発言権はありませんでした。つまりシビリアンコントロールとは真逆の思想です。

この大本営のアナウンスは、大本営発表と呼ばれて、大東亜戦争開戦当初こそ信頼性は高かったのですが、戦局が悪化してきた後は、どう考えても負けて撤退したのに「転進せり」とアナウンスしたり、部隊が全滅し際も「玉砕」という言葉を使うなど、現状をオブラートで包む言葉遊びとも言える誤魔化しがあったのです。
その現状認識に欠けた大本営発表が民意に影響を与えたことは間違いなく、戦況を悪化させた一因とも言えるでしょう。日本人はあの大本営発表が招いた歴史を知っているというだけではなく、実際に親戚を失った人も多く、墓参りに行くたびにそこには戦死者/戦没者である身内の名が刻まれており骨身に沁みているのです。

現状認識能力

ここで冒頭に触れた都議選の話に戻ります。

残念ながら議員を出せなかった地域政党がありました。個人的意見としては特定の政党が強すぎてもダメだと思うので、出来たら全ての政党から数人ずつ議員を輩出するのが望ましいと思っているのですが、それでも議員を出せなかったのは仕方がない。とはいえ、議員を出せなかったことをどうアナウンスするか?ここが大切なように思うのです。あくまで大本営発表のように「撤退」を「転進」と言い換えてオブラートに包むか?それとも玉音放送のように「耐えがたきを耐え、しのびがたきをしのび」と潔く状況を認めて再起を誓うか?
しかし、ある地域政党代表はNHKの都議選投開票速報に出演して、議員を1人も出せなかったのに「政党としてはやるべきことはやった、できた」と断言していました。
この党には「現状を打破してくれるのでは」という一点のみにおいて結構期待していただけに、1人も議員を出していないのに「政党としてはやるべきことはやった、できた」というのは、落選した候補者の方々や票を入れた有権者のお立場を想うと、かなりガッカリしました。現状認識をどのようにされているのか?

怖いのは選挙ではない、その後

議員を一人も出せなかったのに「できた」というのは、撤退を「転進」と言い換えたり、全滅を「玉砕」と言い換えたりした大本営の軍幹部と精神構造が似ているように感じるのは私だけだろうか?こういう人がもし権力を握ったら何が起きるか?恐ろしすぎる。

「評価という意味では視点によって変わる」「民意が可視化された」「良いも悪いも現状が数字で把握できた」。つまり、評価は選挙そのものに負けたとしても、その敗北をスタートラインと考えれば、民意は可視化されて数字で把握できるようになった、つまりデータが取れたのだから、次は勝てるようにやればいいという考え方をしているように見えてしまう。つまり、「負けた失敗から得た教訓を活かして次につなげる」のではなく、「闘ってデータは取れたのだから成功であり次もチャレンジする」ということでしょうかね。つまり彼の中では負けてないということですよね。負けた現実には目を背けると言ってるようなもの。どうしても地域政党代表の発言が冷たく感じてしまうのは、「犠牲」への後悔が感じられないからかもしれません。

これってその地域政党の考え方に共鳴して代表を信じて立候補した候補者が聞いたら「捨て駒にされた」と感じませんかね?

確かに、宇宙開発の歴史などを見れば、失敗を踏み台にして成功を勝ち取ってきた歴史があるので、平時の挑戦というものは、この「失敗を恐れるべきではない」「失敗を糧にして」という考えでどんどん攻めれば良いと思う。しかし多くの人の命がかかる政治においてこの考え方は「勝つまでやれば最後は勝つ」、つまり「犠牲があったとしても最後に勝てば良い」「島嶼部は諦めて本土最終決戦で一億総玉砕だ」「特攻隊だ」と犠牲を厭わない大本営と同じ匂いがするので私は怖く感じる。

盲目な選挙の恐ろしさはナチスの台頭を見れば一目瞭然。国民が耳障りの良い言葉や目先の利益に踊らされ、最悪の政党に権限を与えてしまえば一体何が起きるか?ナチスが台頭した時期のように特に情勢が不安定になっている時期は政治も荒れやすい。今はロシア、ウクライナ、イスラエル、パレスチナ、イランと犠牲者が出る戦争/戦闘行為が続いている上に、米中対立を軸とした冷戦と言っても良い時期です。今こそ冷静になり指導者を選ぶべき時期だと思います。

ホントに、期待していただけにガッカリです。

【追加記載】7月27日追記

ニュースによると、大阪府吉村洋文知事が、22日の都議選で立候補者42人全員が落選した地域政党の代表について言及し「ここぞとばかりに、氏を揶揄したりバカにしたりする意見に溢れているが、いずれ痛い目にあうだろう。彼はここで終わらない」と擁護しました。

さて、ここで考えるべきは、「痛い目を見せる」のは誰?という話。
この全員落選の地域政党代表が選挙に勝ってある程度の地位に就いた時に、反対派の国民に対して何か攻撃を加えるという事だろうか?だとしたら国民主権である日本という自由主義国家の根底が崩れることになる。もしも政治家が国民に対して牙をむくような国があるとしたら、それは三流国家であり、独裁国家であると言わざるをえませんね。こんなことでは、ますますこの政党代表を政治家にするわけにはいきませんね。私は票を入れません。

本当にこの新党には期待していただけに、選挙速報番組での発言やYouTube番組での発言が残念でならない。

>>映像制作の現場からTOP

メールでのお問合せロゴ